こんにちは、ゆでダコです!

少し更新がくれてすいません。

中学生の時の事は、今でも思い出したく有りませんが記憶としてとどめておきたいので、綴ってゆきます。

今少しですが、あがり症が改善してきています。

そのことは、まだまだ先の話になりますが、今後もお付き合いください。



本屋で、因縁の武ちゃんに出会ってしまったのです!

咄嗟に、手にしていた本を後ろ手に隠してしまいました。

その瞬間に「しまった!」そう思ったのですが、既に時遅しでした・・・

意地悪大好きな、武ちゃんがそんな面白い行動を見逃すわけありません。

「なんか本読でた?面白い本だといいね・・・」そう言って武ちゃんは、ゆっくりと私に近寄り本を取り上げました。

情けないですが、何も出来なかったのです。

あがり症を克服しようとしていることが、自分以外の人間にしれたしまったことが本当に嫌だったのです。
死ぬほど恥ずかしかったのです。

全身に嫌な汗をかい事をハッキリ覚えています。

きっと泣いていたのではないかと思います。


そこからの記憶は、ハッキリしない部分もありますが、武ちゃんが言っていた言葉はよく覚えています。

「こんな本読んでるの?あがり症治したいの?この本読んでる今でさえ、真っ赤な顔面しやがって、ゆでダコじゃないか!お前は一生ゆでダコなんだよ~!」

その日は、どうやって家に帰ったのか覚えていません。

克服したかったあがり症も、武ちゃんのせいで出来なくなってしまいました。

当時は、武ちゃんのせいだと思っていました。

でも、今思うと武ちゃんに本を取られたくらいで諦めるなんて決心がついていなかったんだと思います。

それから、私はその本屋を避けるようになりました。

怖かった、恥ずかしかった、そんな本屋には二度といけなくなりました。

その本屋も、今ではカラオケ屋さんになっています。

苦く苦しい思い出ですが、今ならこの事もいい思い出だったと思えるようになってきました。

もっと、ハッキリした成果を感じることが出来たら、ブログで告白しますね。
こんにちは、ゆでダコです。

今回も中学校編です!

中学生になり、あがり症対策に目覚めたゆでダコがとった行動は、本屋に行きあがり症の対策が書かれた本を読むことでした。

その時は、お小遣いを使ってしまっていたので、1ヶ月待って次のお小遣いで購入を決めていました。

それでも、なにもしないで1ヶ月を待つことが出来なかったゆでダコは、あしげに本屋に通うことを決めました。

部活が終わり、周りを気にしながら本屋に入り、あがり症対策の本を小説のブースに移動して読むことにしていました。

毎日通ううちに、本屋の店員さんにも顔を覚えられるのでは無いかとハラハラしていました。

ある日曜日もゆでダコは、本屋に通いました。

凄く注意して、店内に入り、そして一周りして知り合いが誰も居ないことを確認してから、あがり症の本を手にするようにしてたのですが、その日は店内を回ること無く直ぐに目当ての本に一直線に進んでしまったのです。

これが、その日の不幸の始まりでした。

店内には、小学生の同級生がいたのです。

しかも、因縁の武ちゃんです!

あがり症の対策本を手にすると、いつもの様に小説のブースに移動しようとした時です…

「あっ!ゆでダコじゃん!何してんの?」

動揺してしまいました。

慌てて、手に持っていた本を後ろに隠しました。

続く…
こんにちは、ゆでダコです。

中学生になって、はじめてあがり症対策をするという視点を持ちました。

それまでは、あがり症を人に見せないように、隠れることばかりを考えてきました。

科学部の岩田先生に言われるまで、あがり症を克服する、または対策するという視点は存在しませんでした。

言われたその日に、家に帰りどうしたらあがり症の対策が出来るのか考えました。

方法はいくつか浮かんだのですが、中学生の自分にできることといえば本を読むことぐらいでした。

次の日、早速本屋に行きあがり症関係の本を調べてみました。

本が一冊1000円以上するので、手持ちのお小遣いでは買えないことに気づきました。

来月のお小遣いがもらえるまで、本は我慢しなくてはなりませんでした。

しかし、私は毎日本屋に通い、立ち読みをしていました。

あがり症対策のために、毎日立ち読みしました。

大きな本屋ではなかったので、誰かに見られていないかいつもどきどきしていました。

本屋に入るときも、周りを気にしながら本屋に入っていたし、本を立ち読みするときも、わざわざあがり症克服の本を手にし小説のあるブースに移動して呼んでいました。

私は、本を読んでいくうちに、あがり症対策が出来るんじゃないかと思うようになりました。

こんなに、前向きになったのはバスガイドさんに出会って依頼のことでした。


こんにちは、ゆでダコです!

中学生になり、科学部という安住の地を得た私は、ここにきてどうにかしてあがり症を克服できないかと考えるようになりました。

今までの自分は、気持ちに余裕がなく「あがり症対策」を考える余裕がなかったのです。

あがり症対策を考える切っ掛けをくれたのは、科学部の顧問の先生でした。

先生は「ゆでダコ!理科室での実験もいいが、自分の悩みを無視していいのか?」

顧問の岩田先生が、突然話し始めたのです。

小学校からの学生情報みたいなのが、中学校に回ってくるらしく岩田先生は、私があがり症で困っていることを知っていました。

先生は「中学生活を楽しんで暮らせるかどうかは、時間をどのようにすごしたかによると思う」と話して理科室から出て行きました。

帰り道で、先生が話してくれた事を考えていました。

その時、あがり症の対策をしよう!

そう思ったのです。

中学生になり、岩田先生の言葉ではじめて「あがり症対策」について考えるようになりました。

きっかけをくれた、岩田先生には本当に感謝しています。

しかし、ここからが本当のあがり症との戦いが始まるのです・・・
こんにちは、ゆでダコです。

中学生になって、ゆでダコが選んだ部活動は「科学部」でした。

ここまでの事は、前回の記事にも書いていますので、今までの記事で興味のある方は、前回の記事も読んでみてください。

科学部は、私にとって最高の居場所でした。

まず、先輩が居ないことが最高でした。

先輩は、所属しているもののその全員が帰宅部でした。

そのため、中学校特有の上下関係に縛られること無く過ごすことが出来ました。

これは、あがり症のゆでダコにとって最高のご褒美でした。

科学部の利点は、まだまだ有ります。

科学部の同級生は、皆が穏やかな性格の持ち主ばかりだったことです。

これは、本当にラッキーなことでした。

あがり症で、最悪の小学校生活を過ごしてきたゆでダコにとって、恵まれたメンバーに出会うことは人生で初めてのことでした。

どんなに耳を赤くしても、メンバーは何もいいません。

もしかしてら、最後まで気づいていなかったかもしれません。

こんな経験は人生初でした!

担当の先生にも恵まれていました。

どんな提案でも、受け入れてくれました。

実際には一回だけ猛反対されたことがありますが…
これは後日綴らせてもらいますね。

毎日、部活動に参加する事がゆでダコの目標でも有り、最高のご褒美でした。

とにかく、最高の日々を過ごすことが出来たのが中学校でした。

しかし、部活以外の場面ではまだまだあがり症が悪さをしていました。

こんにちは、ゆでダコです。

今回はあがり症を克服したい理由を綴ってみたいと思います。

ずっーーーーと


長い間、あがり症で悩んできた私にも目標があります。


普通の人なら、当然出来て当たり前のことが出来ない。


普通に人前で話すことが出来るようになりたい。

普通に就職がしたい。

普通に女性とデートしたい。

普通にカラオケを楽しみたい。

普通に・・・

言い出したらキリがない、そうです何も壮大なことを成し遂げたいわけではありません。


普通の生活をおくることが、ゆでダコのあがり症を克服したい理由です。


普通に出来る事が、私も出来るようになりたいだけです。


自動車普通免許を取るだけでも、このあがり症のお陰で何度も落ちてしまった。


教官の咳払い一つが、さらに緊張をあおるんです。


普通の人からしたら、何いってんの?


ってことになるんでしょうが、あがり症の人にとってこれほど苦労する事はないですよ。


だって、ふつうのコトが出来ないんだから。


車の運転で言うなら、渋滞する車線に入る時も、相当な緊張感が走ります。


道を譲ってくれる、運転手の顔はまず見ることが出来ません。


軽く頭を下げる程度しか出来ません。


急に割り込まれると、激しく緊張します。


車を運転する事だって、凄くしんどいのがあがり症なんです。


普段生活している中で、あがり症の人がここまで緊張したり、困っている事はわからないでしょう。


本当に些細な事で緊張するんです。


あがり症の人が、近くに居たり知り合いなら、優しく見守って下さい。


日本中に居る、普通を願うあがり症の代表として?
あがり症の人の事を、からかわないで下さい。


お願いします。


普通の生活がしたい!


それがあがり症を治したい理由です。


お金持ちになりたいわけでも、有名人になりたいわけでもないんです。


普通に生活したい・・・ただそれだけなんです。
こんにちは、ゆでダコです。

今日は2記事連続での投稿です!

中学校に進学し、私は新しい環境を手に入れる絶好のチャンスを手に入れました。

クラスのほとんどの生徒が私の小学生生活を知らないはずです。

こんなチャンスはない!

まるで無双状態にでもなったかのように、教室に向かったことを今でもハッキリ覚えています。

そう思い、新しい教室に足を踏み入れると、その教室には私に ゆでダコ とあだ名を付けた武ちゃんがいました・・・

武ちゃんと中学1年生のクラスが一緒になってしまったのです。

同じクラスに、武ちゃんが居ると思うと絶望的でした。

無双モードは簡単に解除されてしまいました・・・

そして、最悪な状況になったのは想像の通りです。

クラスで自己紹介を行った時に、緊張してしまいゆでダコになってしまったのです。

武ちゃんが一言「中学でもゆでダコ決定だな!」

武ちゃんの席の近くで、私がゆでダコというあだ名であったことを説明していました。

そして私のアダ名は、初日から ゆでダコ になってしまったのです。

あがり症を知られること無く、中学生活を過ごそうと思っていた矢先の出来事でした。

人生って本当にうまくいかない

そう思った初日の出来事でした。
こんにちは、ゆでダコです!

修学旅行での体験は、私にとって大きな希望になりました。

それは、あがり症を克服しバスガイドとして働いている人に出会えてことでした。

今まで、自分以外にあがり症の人に出会ったことがなく、またあがり症を克服してきた人にも出会っていないだけに、バスガイドさんの存在は本当に大きな希望でした。

あがり症からの生還者に出会った、衝撃的な出会いだったのです。

バスガイドさんに言われた「自分を信じて強く思うの、あがり症を克服するんだ!ってね」を意識しました。

しかし、衝撃的な出会いを経験したにもかかわらず、私はあがり症を克服する事ができないまま。小学校を卒業することになりました。







こんにちは、ゆでダコです!


前回も前々回も、修学旅行の事を綴っています。


絶望的だった、修学旅行を救ってくれたバスガイドさんに、子供心に憧れていました。


多分、初恋だったと思います。


憧れも有りましたが、一番気になっていたのはバスガイドさんが、本当にあがり症だったのかということでした。


時間がある限り、バスガイドさんに付きまとって質問ばかりしていました。

「バスガイドさんって、本当にあがり症だったの?」

「皆の前で、話すことが仕事なのに、本当にあがり症だったの?」

「どうやって、あがり症を治したの?」


とにかく、どうやって直したのか気になって、本当にストーカーのようにして修学旅行中は、つきまとっていました。


バスガイドさんは、嫌な顔ひとつしないで質問に答えてくれました。


あがり症で、人前で話すことが苦手だった。

でも、バスガイドに憧れて、あがり症を克服したと話してくれました。


肝心の、どのように克服したのかはなかなか話してくれませんでした。


しかし、最終日になってバスガイドさんは、こう話してくれました。


「あがり症は辛いよね。でも、自分を信じて強く思うの。あがり症を克服するんだ!ってね。そうすれば、必ず克服できるようになるよ」と。


その時は、そうなんだ!自分で克服出来るんだ!と希望で胸がいっぱいになりました。


バスガイドさんは、自己流のやり方であがり症を克服した生還者だったんだと思います。


修学旅行後の自分は、何だか必殺技を授かった主人公のような気持ちでいました。


そうです、すでに克服したかのように思っていたのです。


でも、現実は甘くなかった。


国語の朗読では、あいかわらずのシドロモドロで、皆に笑われていました。


でも、バスガイドさんとの出会いは、あがり症だった僕だから出来た出会いだったように思います。


あがり症になって初めて、積極的な気持ちに慣れたのは、バスガイドさんのおかげでした。
こんにちは!ゆでダコです。


今回も、修学旅行の時のお話です!


前回の記事はこちらです→修学旅行とあがり症 パート1



修学旅行の本来の目的なんてどうでも良かった。

ただただ、時間が早く過ぎて欲しかった。

と修学旅行のはじめは思っていました。


修学旅行の当日、満足に眠れなかった私は嫌々旅行バックを抱えて家を出ました。


母は「人生に1度しか無い、修学旅行なんでから楽しんでらっしゃい!」と


楽しめるなら、楽しんでいるよ!と心のなかでつぶやいていました。


教室では、既に同級生が興奮気味に東京での自由時間の過ごし方を話していました。


こちらは、テンションがた落ちですけどね。


ホームルームで担任の先生の、ありがたいお話を聞いてバスに乗り込みました。


バスに乗るのが、これほどまでに怖いと思ったことは有りませんでした。


教室なら、最悪保健室に逃げこむことや、トイレに隠れる事もできる!


しかし、バスの中ではどうしようも出来ない。


自分の力でしか、自分を守ることが出来ない!


大袈裟ですが、当時の私にとって相当な緊張感と絶望感がありました。


バスガイドさんが、運転手の紹介や自分の自己紹介をしていたが、資料の発表が回ってくると思うと緊張して頭の中は真っ白!


そんな最悪な空間でも、バスには良い所はあります。


その良い点とは、窓側の座席に座っていれば、ほとんどの人に赤くなる耳を見られる心配がないことです。


バスの席は先頭で、運転手さんの後ろで窓際でした。


バスは走り始めて、高速道路に乗ると修学旅行委員が「資料発表をお願いします!」といったのです。


この時の緊張はピークです!


自分の順番が近づいてくると、今日来なければよかった!と考えていました。


とうとう順番が回ってきてしまい、国会議事堂の資料を手に取り通路に出ました。


通路にでると、バスが揺れて私はコケてしまいました。


想像できると思いますが、バスに乗っていたほぼ全員が爆笑していました。


もう、頭のなかは真っ白で、耳は真っ赤な状態です。


発表もシドロモドロ!


バスも私の発表を笑うかのように、上下に大きく揺れていました。


再び、倒れそうになった私を、優しく支えてくれる温かい手を感じました。


バスガイドさんが、支えてくれたのです。


「緊張するよね。

私も人前にでると、凄く緊張するあがり症だったんだよ。

ゆっくりでいいから、発表してね。

国会議事堂の情報を、ガイドで使わせてもらうからね。」


凄く救われた気がしました。


緊張していたけど、バスガイドさんがいてくれる安心感は相当な支えになりました。


発表も無事に終了しました。


本当に無事だったかと言われると、多分無事ではなかったと思います。

何とか終わったというレベルなんでしょうね。


でも、終わった!


小学生の自分にとって、最大のイベントが終わったように思いました。


今もそのバスガイドさんの名前は覚えています。


ガイドさんは、土田さんと言っていました。


絶望的だった、修学旅行を救ってくれた恩人ですから、忘れるわけがありません。


パート3へ続く!(こんなに長くなるとは思っていませんでした)