祝福家庭必読書3 | 楚と鶴

楚と鶴

「楚」とは北斜面(日が当たらない場所)で咲く棘のある花のことです。
文鮮明先生のすばらしいみ言葉を掲載していきます。

祝 福
一九七〇年三月二十二日
韓国前本部教会 『文鮮明先生み言選集第三十巻』
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◆歴史的な精誠を尽くす家庭形成

 そのために、私たちが結婚して暮らしている生活がどんなに貧しく困難でも、世の中で最も悲惨な生活をしていても落胆してはならなというのです。悲惨に生活するけれども、自らの家庭が、歴史路程にあった数多くの家庭を救う救い主の家庭になることができるのです。
 いくら難しい立場で、不幸に暮らしているとしても、それを嘆いてはなりません。その場が世の中のすべての人々を蕩減復帰させるために、または、霊界にいる霊人や今後生まれてくる後世の子孫の代わりに道しるべになって、行くべき道を開いてあげる主体者となる立場であると考えなさいというのです。そういう救い主の立場に立つために、私が今生きていると考えなければなりません。
 統一教会で祝福を受けた夫婦は、自分の妻が死に、あるいは夫が先に死んだとしても、嘆いてはなりません。自分勝手に再婚してもいけません。勝手に再婚すれば霊界で引っ掛かるのです。これは必ず天の前に報告して、天が指導するとおりに行かなければならないのです。
 そのようにならないとすれば、結果がどのようになるでしょうか。地上では現れません。しかし、霊界に行ってみなさい。その人は間違いなく、サタンよりもっと悪なる立場に立つようになるのです。
 この問題に基づいて、歴史が六千年間ひっくり返ってきたのです。このように祝福の立場は、ものすごい立場です。

適当に自らの感情を通してできることではないのです。一人の生命の価値は、宇宙よりも貴いのです。その一人については、永遠を基準として責任を負わなければなりません。こういう問題が左右される立場が、祝福の立場です。自らの一生でそういう一時をもったならば、その人は幸福な人です。このような途方もない祝福の場に加担するためには、歴史的な決心をしなければなりません。
 私たちの今現在の立場は、氏族を中心として、国家と世界につながっているそのような立場に立っています。こういう立場で世界人類に代わり、民族に代わり、氏族に代わって祭司長の責任を果たすという宣誓をしなければなりません。私たちの家庭は、歴史時代において、天を中心として残ることのできる家庭であり、世界の前に必要であった家庭であり、神様の愛の世界において必要であった家庭であるという、絶対的な内容を残すという決意のもとで祝福を受けなければなりません。
 神様が探してこられたその家庭の基準は、私たち自らの家庭にだけ限定されるのではありません。神様が探し立てた家庭は、世界へ行くことができるのです。国家を代表し、世界を代表し、天を代表し得る家庭をつくるために探してきた歩みが祝福の歩みであるがゆえに、天の父母の家庭を通して祝福を受けなければなりません。その祝福を受けたのちに、精誠を尽くす家庭として正常な道を行くとき、その息子、娘は大運をもって生まれるはずです
 その父と母がどのように愚かであるとしても、彼らの子女は天の運勢をもって生まれるのです。ですから、天の運勢をもって生まれることのできる後孫は、父母が精誠を尽くす基準によって、その内容が決定されるのです。国のために、世界のために、天のためにどれだけその心が切実だったかによって、どれだけ誠を尽くしたかによって、今後生まれる後孫の運命が左右されるというのです。
 自らの欲をもって動いてみたところで、天は彼に同調するのではなく、離れるのです。自分個人の欲望を充足させるための愛をもって出てくるようになるときは、神様はそこにいらっしゃいません。必ず世界と国家と民族のための立場にいるときに、共にいらっしゃるのです。それでより広くて高い愛を探し立てなければならないのが、祝福家庭の道なのです。
 祝福を受けるにおいて「私はあの人と受ければいいなあ」と、このように胸中に自らの相手として結んでくれるのを希望する人がいるなら、その人は神様を冒涜する人です。エデンの園でアダムとエバが堕落する時と同じです。アダムとエバが長成期完成級で堕落する時に、互いが自らの相対であることをはっきりと知らなかったのです。知らない立場でサタンの誘惑によって、知らず知らずにそのような結果をもたらしたのです。
 祝福の相対の決定は天がなさるのです。父母がなさるのです。すなわち、アダムの父である神様がなさることです。このようなことを見るとき、韓国の伝統的婚礼法は、天法に合っている結婚方法です。父母の承諾なしには、絶対に結婚ができないのです。
 それゆえ、息子、娘は自分に好きな人が心にあれば、すぐ父母に報告しなさいというのです。その人が好きだという言葉が口から出てくる前に、まず父母の公認を受けなければなりません。二人が付き合ってもよいと父母が認めてくれれば、それでいいのです。報告して恋愛をするのは、罪にならないのです。しかし、報告しないでそうすることは、認めることができません。
 私たちの世界は、堕落した結果の世界です。人間始祖アダムとエバが、青少年の時に何らの許諾なく愛の種を蒔いたことが、今日の青少年から収められているのです。大豆を植えれば、大豆を収め、小豆を植えれば小豆を収めるように、人間始祖がそのように堕落したので、そのように収め得る時代が、今世界的に迫っているというのです。

一生一代で最も貴いものは後世のための祝福
 祝福は、自分一代でも永遠においても、一度しかあり得ない最も貴い場です。その最も貴い場で、最も貴い方と共に決定して越えていかなければなりません。天がここに降り立たなければならないのです。そうして、天と共に決定する最も貴い実体にならなければなりません。
 こういう貴い実体を自分勝手に決定していくのは原則ではありません。これを間違ったがゆえに、堕落の恨が今までしみついているのです。これを蕩減していかなければならない私たちの立場で、どのようにこの貴い位置を探していくかということが問題なのです。
 それで、統一教会では恋愛をしてはなりません。愛は天から始まり、天で終わらなければならないのです。では、これから世界を中心として祝福の機会がある場合には、どのようになるでしょうか。私たちに祝福を相続してくれるのです。その父が所有しているものを息子に譲れば、それは息子に移るのです。
 その所有権は同じです。そこに収穫されたすべての結実を相続した人が管理をするように、それを相続した人が、どんなに年齢が足らず自分より若くても、その人の管理のもとで調整されなければならないのです。ここでは、優秀であるか愚かであるかは問題になりません。
 これから先生が、これを引き継ぎするようになる際に、その相続を受けた人がどんな障害者であるとしても、その人の前に行って祝福を受けなければなりません。そのような時が、間もなく来るはずです。こういうことを悟り、この祝福の位置が私たち自身の一代において、ただ一度しかあり得ない、最も貴い因縁を決定する立場であるということを知らなければなりません。
 先生が「この人は君と天によって定められた似合いの配偶者だ」とぴたっと決定してあげれば、それは間違いないのです。先生は、相手を選んであげるために、夜もろくに睡眠をとりません他人の生命問題、霊魂の問題に責任を負った立場では、これが簡単な問題ではないというのです。
 よく見れば、生まれつき星回りの悪い人がいます。顔を見れば、何度も嫁に行かなければならないタイプがいるのです。そのような人は、未亡人になるタイプです。目を見ても、唇を見ても、鼻筋を見ても、間違いなくそのようになっているのです。そのような人は、それ以上の男性に会うようにしてあげなければなりません。
 そのような女性が自分の新郎に会えば、初めは「怨讐のようだ」と言うのです。うまく出発すればそれが壊れていくので、怨讐から出発すればあとでぴったり合うのです。そのようなことを先生は知っています。祝福に対しては、とにかく先生と相談をしなければならないのです。
文先生の祝福
 また、先生が祝福をするとき、女性の中に障害者がいました。そうかといって、その女性の容姿は悪くもないのです。背後の因縁や天性をよくもって生まれた女性なのに、父母の過ちによってそのようになった女性です。ところが男性たちは、その女性と祝福してあげようとすれば、みんな「嫌だ」と言うのです。事実、どこに障害者を「好きだ」と言う人がいますか。
 ところが、ある一人の男性をよく見ると、目にすっと入ってきて、容姿に欠点がたくさんありました。その欠点を補充できる女性が、正にその女性だというのです。それで先生が説得に立ちました。「君、この女性は見かけはこうだが、良い女性だ。暮らしてみて嫌な所が見えれば、その時は目を閉じればいいではないか。けれどもこの女性は本当に美人だ。そして、自分が結婚するのは、何のためか。正に後世のために結婚するのではないか。そのような立場で結婚すれば、これが統一教会の歴史に永く残ることではないだろうか。先生の一生で忘れることができないことではないだろうか」と言いながら、ずっと話をしてあげました。そして「君がその女性と結婚して娘を生むようになれば、美人を生むであろうし、息子を生むようになれば、将軍を生むだろう」と言いながら、相手を選んであげました。
 そして何年か過ぎたのち、先生が地方巡回に行ったときに、その夫婦が参加していました。ところが、先生を見るや否やその人は、先生の前に飛び出してきたのです。その間、どうなったか気になっていたところで会ったので、その赤ん坊を見ようと行ってみると、案の定、本当に美人の娘を生みました。

◆祝福と理想相対
 見かけが良いのは、サタン世界で看板を掛けて宣伝するのと同じです。そのように宣伝している家に入っていって物を買えば、ぼられるのです。宣伝をよくする所へ探しに入っていけば、大多数がぼられるというのです。本物は宣伝をしません。それゆえ、祝福を受けるために来るとき、新しい服を着て、顔はきれいにお化粧をして、のさばるような女性は相手にするなというのです。かえって素朴で、一皮むいてみれば、また一皮あるそのような女性に、何かがあるというのです。
 美男、美女だけで一緒に暮らすようになれば、その家庭は耐え抜くことができないのです。そのような人は、反対にしてあげなければなりません。天地の道理がそうです。背の高い人は、背の低い人と結んであげるべきであって、背が高い人同士で結んであげれば、彼らが暮らすのにつまらないというのです。
 そのように思って、顔が平たい人は顔の平たい人をもらおうとせずに、面長の人をもらうように考えなさいというのです。また、鼻がラッパのような人は、わし鼻の人と結んであげなければなりません。目が半分だけ開いたような人ならば、大きい目をもった人と結んであげなければならないというのです。
 そのために、先生が祝福してあげるのはこれから長生きをし、自分の子孫のためなのだと考えて、自分の姿がどうだということは考えてはなりません。「私自身はこのように生まれたので、こういう男性をもらってこそ、私の子孫にこういう子供が出てくるはずだ」と考えなさいというのです。
 ですから、相対が気に入らないからといって心配してはなりません。先生は今まで多くの人たちを指導してきました。今まで祝福をしてあげた人の息子、娘を見れば、大体その父母よりも良いというのです。それは、私が結合をうまくしてあげたという話になるのです。
◆ある相性診断士とのやり取り

 韓国で、相性を上手に見ることで有名な李なにがしという人がいました。その人が、私たちの原理を知ってから、先生をとても尊敬するようになりました。その人が言うには、自らの専業がそれなので、先生が祝福をするにおいて、自分は手伝わなければならないというのです。それで先生が「私は必要ない」と言いながら「いったいあなたは、一日に何組ぐらいできるのか」と尋ねると、「一組するには、少なくとも一週間はかかる」と言うのです。そのような方法では、私には通じないというのです。
 その人が、「それで先生は、一日に何組までなさいますか」と尋ねるので、「一日に普通は、七十組をしなければならない」と言いました。先生がその人に「今あなたがしているやり方と統一教会でしているやり方と、一度対決してみよう」と言いながら、先生の資料をぐいっと抜いて見せてあげました。そうしたところ、その人はここで感服して、「さすが先生でいらっしゃいます!」と言うのです。「どうすれば、そのようなことができるのでしょうか」と言うのです。
 例えば、ある女性はいざとなったら急死する運命の女性なので、天下にその女性と合う男性を選ぼうとしても選べないのに、どうして相手の男性をうまく合わせてあげられたかというのです。このように先生には、何かがあるのです。見ればすぐに、何か知らずに感じることがあるのです。
 結婚というのは、むやみにするものではありません。道端で通りすがりに会った人同士でするのではありません。自分たち同士が親しくなったといって結婚すれば、結婚してすぐさま異変が起きてくることもあるのです。互いが合っていないからです。
 松は松同士で接ぎ木をしなければなりません。互いに合う型があるのです。ですから、自分たちなりの立場で通過しようという場には絶対に立ってはなりません。祝福というのは、前に話したとおり、国のために、世界のためにするのです。また、それがすなわち後世のためになるのです。

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編集後記

 私たちが結婚して暮らしている生活がどんなに貧しく困難でも、世の中で最も悲惨な生活をしていても落胆してはならなというのです。悲惨に生活するけれども、自らの家庭が、歴史路程にあった数多くの家庭を救う救い主の家庭になることができるのです。


わが家庭の証

 上記は涙が出るような名文です。

 私たち夫婦は20年間本当に貧しい暮らしを経験させていただきました。立ち直れないぐらいの悲惨な生活にも見えましたが、結局神様に寄り添い、ご父母様、特に私は「お父様」のことを意識して生活させていただいき、今とても幸せにしております。

 「歴史的な意味のある祝福」を受けさせていただき、たった一人の女の子でしたが「のびのびと自己実現に向けて生きている」とても希望にあふれた娘に育ってくれています。

お父様が私にくださった「宝」です。また神様に喜んでお返しできる「宝」です。

あふれるぐらいの感謝を申し上げます。ありがとうございます、アージュ。


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