본향에 돌아와요(本郷へ帰れ)6500双  | 楚と鶴

楚と鶴

「楚」とは北斜面(日が当たらない場所)で咲く棘のある花のことです。
文鮮明先生のすばらしいみ言葉を掲載していきます。

聖和式から39日目の39回目のブログ記事になります。

真のご父母様からいただいた一生に一度のマッチング、家内と初めて出会った時に6500双にいただいたみ言葉を紹介いたします。

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聖酒式前の御言
日時:1988年10月29日 場所:一和龍仁研修院
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楚と鶴
◆神様の役事であること、全体での責任を自覚すること
 韓国の男性と韓国の女性、日本の男性と日本の女性が共に座っているときの気持ちはどうですか?

 今までの両国間の立場というものは、日本人にとっては、韓国人は一番嫌いだった。また、韓国人にとって日本人は一番嫌いだった。長い歴史を通して怨讐のように考えてきました。

「 いかにその壁を崩してしまうか?」ということが問題である。

人間の力、人間の方法、手段ではできません。また、堕落世界の心情圏では絶対不可能である。その不可能なことが、今この地上に可能になりつつある。

それは神様によってです。神様は万物の創造主である。

だから創造主につなぐ、真の心情圏の力によって、こういう現象が起こってきたというのです。それは何よりも偉大なことである。

 君たちがこのように集まったこと自体、今世界から見た場合には、最頂点に立っている。

最高の所に立っているということを忘れてはならない。だから、君たちの行動というものは、天から見たときに、一番注目の的であるというのです。

サタン世界は、この絶頂に立っている者たちが何とか崩れて、転がり落ちるように願っている。天の方では、何とか一つになってこの絶頂から飛躍する、跳躍することを願っている。
 この二つの境界線を迎えながら、今から君たちの生涯の運命がどういう方向に決定していくか。この頂点から下がっていくか、跳躍していくか、それが、今からの君たちの使命として、双肩に掛かってくる重大事件です。

「だれか一人ぐらい、自分一人ぐらいこういうふうになるのは何でもない。たくさんのカップルのうちで全体に何のかかわりもない」というように思ったら大間違いです。それは一つの水晶玉であって、そこに傷が一点つくというのは、全体の傷になる。一人の傷ではありません
 

 今からは、このような怨讐国家間で、み旨を通して共につなぎ合って、今まで 築き残した壁を崩さなければならない。それが我々の使命である。

いかなる苦難が、いかなる迫害が増し加わっても、「何としてもこれを崩壊させなければならない」という使命を我々は持っている。もし、君たちがそれをなしえなかった場合には、我々の後孫を通しても、これが果たされるまで続くであろう。長く続けば続くほど、それは二重、三重、それ以上の難しい結果を来すようになる。
 だから、最初の出発が何よりも貴い。そうだろう?

 出発が最も貴重なものである。出発を誤った場合には、全体が曲がってしまう。そういうふうに考えて、我々全体を中心として考えた場合には、君たちは一人ではない。

 きょう十月三十日に式を挙げる全体は、一つの塊である。跳躍して、飛躍して行かなければならない各自の使命を、各自が固めつつそれを進めて行かなければならないということを、決意しなければなりません。分かりました? (「はい」)。

 全体が一つだ。各自ではない。そういうような重要な時点に立っている。

◆霊界は争いの歴史と場所をつかみ理想完成の時と場所を考えている
 君たち、考えてみなさい。霊界から見た場合に、君たちの先祖はどう思っているか?
 韓国の先祖も、日本の先祖も皆霊界に行っている。霊界では、会おうとすればすぐに会える。“あの者は自分にとって恩師だ”と思ったらすぐ会える。見たいと思えばすぐに現れる。思えばそれが果たされるような世界になっている。時間と空間を超えているのです。
 君たちの先祖をずーっと考えてみた場合に、韓国と日本の先祖は今まで恨みが多い。怨讐関係を続けてきた先祖が霊界に行って、どういうような立場にあるかを考えてみなさい。それは悲惨である。そういうような立場は、日本と韓国ばかりではない。国境を境とした両国家は皆、世界いずれの国も同じです。いずれの国家も、国境が問題となる。国境問題を中心としていろいろ争いが起こって来る。
 国境を越えて他の国を犯したり、被害を被らせるようなことを続けていくことによって、両国家の間は、特に悪くならざるをえない。そういう歴史性を持っている。それは、日本と韓国ばかりではない。フランスからドイツを見ても、フランスからイギリスを見ても、皆国境を控えている国々には、過去から現在、未来を通じて複雑な状況を残しながらいくのです。
 もしも神が、何とかしてそういう問題を解決しようとして、「どこから始めるか?」と尋ねた場合に、日本と韓国民族は「ああ! 日本と韓国からは嫌だ!」、そう言うだろう。神が「フランスとイギリスを中心として境目を崩す」と言うと、「フランスとイギリスでそれをするのは良くない! 他の国でやってくれ!」と、いずれの国もそういうふうな考えをする。そう思いませんか?
 結局、どこの国からもそういうような答えが返って来る。そうだとすれば、初めに召命される国々が悪いかというと、絶対そうではありません。それは、天に向けて最初に召命された立場に立っているということを、その人々は知らなかったからです。だから、地上の国々は、自分たちが知らないうちに、天の運勢を逃がしてしまうことがいくらでもある。

統一教会は一つの世界的宗教、「絶対不可能な境地」を可能に転換するだけではなく「完成する。」

 こういう観点から見た場合に、統一教会は一つの世界的宗教である。天が多くの世界的な祝福を授けるために、どこかの国を立たせて、ある使命を任せたい、そういうふうに召命された場合に、大概の人は分からない。また、準備する国がない。準備する国もなければ、それを好む国もない。準備して、そういうときが来るのを待つ国民もなければ、それを好む国民がないというのです。

 神のみ旨は地上を中心として完成していかなければならない。完成していくには、蘇生、長成、完成と、レベルを上げていかなければならない。それを、地上の者は皆知りません。知らない環境の中に、特別に天から召された預言者とか、先駆者たちが生まれて、「時が来た。国ともども、国民挙げて準備をしなければ国が滅びる。
アジアに、世界に危機が来る」といくら言っても、それを理解する者がありません。

 神のみ旨に対して、はっきりした理論的な内容を、まだ、この地上の人間は分かりません。知る者がいないというのです。

 元をはっきり決定しない立場から堕落してきたから、その元を探って、それを明かすということは絶対不可能な境地に立っている。

 数多くの預言者、宗教者たちがその境地を、峠を越えよう、越えようと努力してきた。しかし、努力したとしても、それを解決する道を見いだすことができないで、皆、失敗に終わってしまった。失敗に終わったその個人、その国自体が、未来にその道を訪ねて来る人々に対して、一つの教えの材料として用いるような基準で失敗したのではない。かえって警告をなし、これは危険だというような失敗の結末を残して去って行った。世界的に、歴史上、そういうような立場を残して行った。

 だから、決意を囲めて、その峠を越えようとする者には、皆が反対する。「過去もこうだったのに、皆失敗してきた。それなのに、その失敗の道をなぜたどるや?」と。それは、個人が反対するとともに、社会から国ともに、為政者たちは皆迫害を加えて、国を挙げてブレーキをかけて来た。そのように見た場合に、神様のみ旨を果たさなければならない霊界、天と神様はいかに惨めな立場であろう。それを考えなければならない。

 それと同じように、統一教会の今までの発展の路程は、そういう道を訪ねてきた。だれ一人も歓迎する者がいない。たった一人ぼっち

 世界を挙げて「正しい」と主張しても、聞こうともしない。振り向くこともしない。それで済めばいいんだけれど、「これは問題になる、切ってしまわなければならない」と言って除去してしまう。そういうように、天に向かう使命を天から召命された人たちは、その時代の迫害を受けるのが常識的になっている当然、そういうような迫害を受けるようになっていると思うような世界になってしまった。
 だからと言って、「そういうような思いは捨ててしまえばいいじゃないか、手を着けなければいいじゃないか」と言うのは神のみ旨ではありません

 神のみ旨は、神自身を中心として果たすようになっていません。人間とともに果たすようになっている。

 その人間というのは、今霊界に行っている、神のみ旨を知っているその霊人体ではありません。肉身を持っている地上の我々人間です。堕落圏に覆われている場合は、人間を適してみ旨を果たすことを求めなければならないのが神のみ旨であったというのです。

◆祝福はサタン世界転覆のための生涯をかけた闘い
 そう考えてみた場合に、霊界と地上界は反対になっている。

 必ず反対になっているというのです。サタン世界は、左の世界からずーっと右の世界を全部占領している。「占領しているそれに沿うて行けばいいじゃないか」と言えば大変なことになる。「何で逆の方向を求めて行かなければならないのか。今世界的に、こういうようにいい世界になっている、皆ともどもに青年が個人の目的に向かって、自由世界に向かい合うその様子がいいじゃないか」と言う人があるかもしれない。

 しかし、この世界は堕落した結果の世界だ。堕落して成しえた結果の世界であるということが間違いない結論であるとするならば、それは悪い方に包囲されている。それをいつか引っ繰り返す。引っ繰り返さなければならない。それをだれがやる?
 世界的になっているものを、だれがいっペんに世界的に引っ繰り返すか。間違っているこの世界、天地ともどもの地獄になっているすべてを、いっペんに転覆させなければなりません。

 そういうことをやれる個人が生まれないと、そういうことを成す家庭が生まれないし、家庭が生まれないと、氏族、民族、国家、世界が生まれるようになっていない。そういうことを考えた場合、だれがそれを転覆させてしまうかという結論になる。「私がやる」という決意をして立つ者があろうとも、それを果たす時間が何年くらいかかるであろうか?

 生涯を通していくらやったとしても、人間の生涯は百年、一世紀以内に消えていくものだから、数百万年の歴史を通して固執するようになった現実の社会を、いっペんに転覆させるようなことは夢みたいな話である。それは不可能なことである。そういうことをやれますか?

 五十億が反対して、数百民族、百六十以上になる国家が反対しても、自分が転覆してしまうんだという決意を固める人間が、果たして歴史上に現れたであろうか? 

 深刻なものです。間違いなく堕落した結果の世界だとすれば、だれか一人でも、一人から転覆運動を成して、世界の果てまでもかき回して、火をつけるような、転覆させるような圏を造らなければならない。

 その一人も満たすことのできない歴史過程であるならば、未来の歴史はそのまま暗たんたる結果に終わってしまうであろう。それ以外に道はない。

 だから、左一本の世界、これをサタン圏と言えば、そこにブレーキをかけて、反対にこれを切り抜くということが生まれないと、右の世界は生まれてきません。分かりました? (「はい」)

 。これを切り抜いて世界の果てまでつなげておかないと、右の世界は生まれてきません。だから、個人から、家庭から、氏族から、民族、国家、世界から天宙まで交差点をつくらなければならない。ここには闘いだ。(しぐさで示される)。交差点において闘いだ。個人の交差点の闘い。家庭の交差点の闘いである。

 そういうような闘いを続けてきたのだから、人類歴史に、一般社会の為政者、国を率いる主権者たちと宗教を信ずる者たちには、闘いが続かざるをえない。だれが優勢な立場に立つかというと、サタンの世界だ。神のこれを横取りしようとする。

 右圏の世界を築こうとする方向に、死力を尽くして反対し続けているのがサタンの世界である。

 君たちもそうである。君たちも、良心と肉心を中心として交差点をつくっている。良心ばかりの体になっていないのです。良心と肉心が闘っているだろう?
 しかし、今結婚する男と女が違うのである。

女、男、皆こういう態度をしてはだめです。それはサタン世界の闘いの現状を維持した立場を現す環境である。男が正しかった場合、女は絶対に主張してはならない。一方きり。

 神のみ旨を知った以上は、絶対権限を立たせて、否認しても、服従させても、無慈悲な立場をとっても、それを維持していかなければ、個人から家庭、氏族、民族、国家発展の道をたどっていくことはできません。分かりました? (「はい!」)


◆サタン世界で身についた習慣性を絶対に残してはならない
 
こう見た場合に、今統一教会は何のために現れたか? 統一するために生まれてきた。すべての悪の世界を横切って、ふさいでしまって、新しい神の善権を中心として、サタンのすべての世界を消化するための運動が統一運動である。

 統一の運動はジグザグに行かない。垂直に行かなければならない。その周りとか、前後にはサタンの影もない。右の果て、左の暗い果てにはサタンが現れることがあったとしても、正面には、世界統一の理念の方向の向くところには、サタンの姿が現れてはいけない! そういう環境をつくろうとするのが統一教会の使命である。

 君たちが個人で立った場合に、良心と肉心がある。良心が右とすれば、肉心が左となって水平線に立っている。垂直の方向に向けて、水平線になった状態で、いかなるものが東西南北から見ても、間違いなく水平だと認めるような、そういうラインに立って、み旨に向かう自分になっているかということが真剣な問題です。

 左右、内的外的になっているものが一つの水平線をなして、垂直の方向にならなければならない。なぜ垂直かというと、宇宙には垂直線は一つしかない。だから、水平線において、垂直線に向けて行く、その姿の個人をいかに発見するかという問題です。そうするには、サタンの讒訴するような習慣性や、文化の汚れを残すような自分自身になってはならないというのです。重大問題です。
 そう見た場合、君たちはどういう立場か? 交差するための、一方的な方向を求めていく統一の群れか、それとも、真正面に立って、世界を方向づけて、垂直方向を固める方向に向かう、サタンがいない、神だけが前後で保護してくれながら、御旨の道を果たしていく者であろうかということを考えてみた場合に、それは大変な問題だ。
 君たちの現在の位置はどういうものなのか? 悪なるものか、善なるものか、重大な問題だ。君たち日本からこちらに飛んで来るとき、「あー祝福がある」(と言って喜んだだろう)。祝福はいいことであるが、君たちはその祝福を迎えるにふさわしく、いいことを迎えるにふさわしい、いいものになっているか?

 いい良心、いい肉身、いい過去と、いい現在と、いい未来を保証しうるような善なる立場に立っているか、それを考えてみなければならない。
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編集後記

 それは一つの水晶玉であって、そこに傷が一点つくというのは、全体の傷になる。一人の傷ではありません

 わかりましたか?(はい)という問答があったような気がします。

 6500双の方、特に気持ちが微妙になってきている6500双の人に特に読んでいただきたい、なつかしい、なつかしいみ言葉」です。
본향에 돌아와요(本郷へ帰れ)」と激励の意味で表題をつけました。

このとき、日本語で話してくださいましたので、韓国人のだんなさん、奥さんはさっぱりわからなかったはずです。

 「心の録音テープにとっておいて、後で知らせなさい。」ということも言ってくださっています。これを見つけたときは、涙が出てきました。(心痛めた時期も正直ありましたのでその想いもこみ上げて来ました。)


 その晩は、メッコール工場の麦のわら袋の上に寝ました。「それが,いい思い出になるんだよ。」といってくださいました。本当に人生最高の思い出になりました。

 6500双がんばってみ言葉読んで、統一教会を作っていきましょう!願いは大きい!みんな「はい!」と答えてる証拠がここにあります!

カムサハムニダ、アージュ。


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