今、友人や知人に「助けて」と言えない人が増えている。
他人の有効な時間をもらったり、手を煩わせることに対し申し訳なく感じ
仮に伝えたところで、相手が不機嫌になったり、文句を言われたり、
やってくれても二度手間になったりするくらいなら、自分でやった方がいい。
さらにはうまく伝わらなかったら時間の無駄とさえ思ってしまう。
そうやって発信さえもしなくなるから誰からも助けてもらえず
どんどん孤独感が増していく人たちが増えている。

「助けて」とまで言えなくても、せめて愚痴をこぼせれば
けっこう気持ちが楽になっていったり、
そのことがきっかけで聞いた人の人脈から助かっていくこともある。
私なんかは当ブログに洗いざらい書くことによって
けっこう頭の中が整理されていき妙案が閃くことも少なくない。

誰もが知人友人に気持ちを吐くことが出来ず
孤独感が増し、AIやネットで知り合った見ず知らずの人たちに話をして
犯罪に巻き込まれたり、多額のお金をだまし取られる事件は
後を絶たない。
そこで教会でお届けをさせてもらい、神様に愚痴を聞いてもらい
「助けて」と声を出して願う。信心の稽古が大切になっている。

また近頃は世代間交流の場が少ない。
同じ世代の者とは交流があるが、異世代の人との交流の場が少なくなり
お年寄りは子どもの泣き声が騒音に聞こえて公園の撤去や
近隣の保育園の反対運動に加担。
一方、若者はお年寄りとの交流の場がないために理解が出来ず
就職をして自分たちの親世代以上の上司とうまくいかなかったり
お互いにコミュニケーションが取れない人が多い。

介護の世界でも、介護のノウハウは習っていても
お年寄りとの世間話が出来ない若者が増えている。
その点、教会の行事に参加していればつねにお年寄りとの
接点があり、お互いに理解し合える関係を築くことが出来る。

さらには今後、教会ではデイサービス要素を取り入れるべきで
単に信心の稽古をするばかりではなく、体操や趣味の場も取り入れて
若者にもお年寄りにも大切な居場所になっていかなければならない
と思っており、そのニーズは大きいと考えている。