私は62年間も生きてきて、やっとこさ分かったことがある。
それは、人はどうにかこうにかやっとのところで生きているということ。
私は12年前に持病の腎臓病の数値が悪いことが分かり
腎臓を大切にする生き方をしてきましたが
徐々に数値が悪くなり、人工透析を受けることになった。
人工透析と聞くと、「週に何日受けなければならないのか?」だとか
「1回に何時間拘束されるのか?」とか「大変やねえ」とか
「あれ、始めたら5年で死ぬらしいからしない方がいい」とか
さまざまなことを言われるけれど、
「まだ始まっていないから分からない」と答えている。
みんな対岸の火事でお気楽でいい。
自分としてはどんな生活になるのやら不安もあるけれど
信心させてもらいながらのことなので
神様にお願いさせてもらいながら受けていくしかないと受け止め、
新しい生活スタイルを通して「どんな御用が出来るのか」を愉しみしている。

そんなことよりも62歳にもなって最近、嫌な思いをした。
腹が出ていることを笑われたし、血圧が高いことを笑われたし、
たくさん服薬しているのを見て笑われた。
生まれつきの障がいもあり、他人から笑われることには慣れているつもりだが
62歳にもなってバカにされるとは思わなかった。
いや子どもが笑うのは仕方がないが、大人から笑われるのは腹も立つ。
「なんと非常識な人だな」と感じたが、そのおかげで閃(ひらめ)いた。
人はみんな精いっぱいのところで頑張っているということだ。

お腹が出ているのは小学生の頃からだが、
私の血圧が高いのは重い腎臓病が原因であり
病院で処方されたお薬を主治医の指示通りきちんと服用しているから
元気に生活が出来ている。
そう考えれば、世の中には未だにサリンやコロナの後遺症で
病と闘っている人もいるし、電車に乗るだけでも大変な人もあるし、
教会に来るだけで精いっぱいの人もあれば、
車椅子に乗ってやっとこさ教会に来れる人もある。
みんなどこかしら悩みを抱えながらも必死に生きている。
だからそれを嘲笑うことは誰にも出来ないのです。

車椅子生活の方に「あなた若いんだから歩きなさい。」と言う人はいないし、
白杖を持つ盲人にも「若いのに杖なんか持つな。」と言う人はいない。
少し考えれば分かりそうなことだが、そんなことが
恥ずかしながら62歳にもなって、やっと分かってきたのです。

みなさんお教会に参拝し、御取次を頂きながら
精いっぱいのところでおかげを頂きながら生きている。