3月8日玉水記念館に行われた輔教集会に参加させていただいた。
今年は金光教押小路教会在籍教師の門川大作師による講話とグループ懇談で
教会にお生まれになられた門川師は、京都市役所に就職され
人事係から教育長を経て京都市長を4期16年を勤め上げられた。
30年もの長い間、輔教の御用をしてこられたことから
昨年8月に金光教学院の特科を出られて74歳にして金光教師となられた先生で、
「お礼」と「お礼の足りないお詫び」そして「お願いの日々」
を通じて不思議で有難いご縁を得て
さまざまな問題解決に至ったという話だったが
残念ながら凡人の私には、あまりにも何もかもがBIGすぎて
自身の生活にあてはめて考えることが出来ず
先生への質問を提出する時間もあったが
いつもならすぐに思いつき文章がすらすらと書けるのだが
私たちの生活から逸脱し過ぎていてなにも思いつかなかった。

グループ懇談では前後の4人でグループを作り、
司会者の案内に合わせて1人、1分とか2分で自己紹介のほか
①講話を聞いて感じたことや印象に残ったこと
②自分の経験と結びつきそうな実践や取り組み
③これから実践してみようと思うこと
を順番に話していくのだが
一人の方がカバンの中から自分で作ってきた文章12枚を配り始めると
自身の話をし始めた。耳が遠いのか司会者の案内は聞こえておらず
司会者の案内とは関係なしに話は延々と続く。
どのグループも同じような状況なのか全体的にずっとざわざわしていて
耳をそばだてて聞いていても司会者の案内の声が聞き取れず、
近くにいたスタッフに「一度静かになるまで待ってから進めないと聞こえない」
とお願いすると、快く採用してはいただいたが
ずっとざわざわしていて「いったん終了して下さい」という案内さえもが聞こえない。
おまけに1分とか2分刻みで時間配分してあり、
話し足らない人の時間も用意してあったが
話したい人は4人分を話しても話しきれず
「こんなんじゃ話にならない」と苛立っておられた。
結局私たちのグループではほとんど討議は出来ずワンマンショーに終わったが
ありがたいことに自身を含めた残り3人が心の広い方々で助かった。

昨年は「神様から願われている輔教としての私の役割」をテーマに
「ご神願マップ」の作成をワークショップ形式で進めて下さったが
私たちの年代では会社の中である程度経験があり理解も出来たが
私たちより上の世代にはワークショップ形式に馴染みがなく
進め方が理解できない人が多く感じられた。

それまでにやってきた教話を聞いてから15人程度の班に分かれる形でも
話をしたい人がどんどん話してしまいまとまらなかったが
逆に話したい人は、今に比べて満足していたようにも思える。
特にコロナ禍以降、各お教会での信者さんの参拝も減り
参拝者同士の会話も減ってきている。
他教会の信者さんとの話を楽しみにしている人たちも目立つように思える。
さらに班分けがなくなったことから参加者名簿が無くなったため
どこの教会から誰が来ているかの確認が出来ないと不満の方もあったが
個人情報保護のご時世だからやむを得ない。

企画していただいている先生方の御苦労も理解できるし
参加されるご信者さんのお気持ちも理解が出来るが
教会によっても輔教推薦の考え方が異なっているようにも思える。
帰りに肥後橋の駅のエレベーターで一緒だった2人の高齢者は、
「荷物が重くなったわ。1本増えたから。」と頂いた飲料水の不足を言っていた。
天地の恵みであるお水をいただいておきながら不足が出るなんて
同じ輔教でありながらレベルの低いことと嘆いた。

私自身も輔教任命を受けている身として
自身の入院予定を繰り下げてもらって参加しただけに
この研修会を実りのあるものにしたいと思っていたが少し残念に感じた。
※いつもなら帰りに感想を書いて提出するのだが  今回はなかったので
 ここでは感じたままに書きました。


参考:門川大作さんの投稿