以前、お母さんの趣味をテーマに書いたことがある。
(前編)(後編)(③)
ある女性から娘さんに信心が伝わらないと相談を受けた。
その家族はご主人と娘さんの3人家族で
御主人は妻の信心には反対はされてはいないけれど
ご自身は信心されておらず、
信心されているのは、相談のあった女性ひとりということだ。
娘さんも子供の頃には母親と共に教会へは行っていたが
すでに成人となり社会人となっている。
そんな娘さんのことで思い悩む女性は、
一緒に教会へ行こうと誘っても断られ、
行かない理由を聞くと「行っても変わらないから」と答え
「信心はお母さんの趣味」と言われたと言います。
あれから後も女性のことが気になっている。
今では娘さんは家を出て独立し、夫婦のみの家族になっている。
相変わらず御主人は信心をされていないが
女性は熱心に教会参拝を続けているし、
月例祭や御大祭の御用奉仕も積極的に続けているようだが
なぜか女性との会話に信心が感じられないのだ。
同じお教会の方ではないので詳細は分からないが
自宅から電車に乗って1時間以上もかかるというのに
苦にもせず教会参拝しているとは聞くけれど
信心の研修会に参加したとか御本部参拝したという話は
そう言えば聞いたことがない。
私自身も春と秋の御大祭には参拝させて頂いているが
教話の時間になると、裏方に入って用事をしていて
一緒に教話を聞いたことがない気がしてきた。
我が家では夫婦で宗教が異なるため
自分の信心を知ってもらうために
私は聞いてきた教話を家で話し、
妻もまた座談会で聞いてきた話を家で話す。
互いに異なる視点で考え方や受け止め方を話し合うことで
お互いの信心の共励にもなっており
宗旨は違えども同じ視点で信心させてもらえていることを
だんだんと実感してきたが
女性はそういう信心の研修をどこでしているのだろうか?
参拝するだけなら近所の神社とあんまり変わらない気もする。
妻は毎朝の勤行で3千回お題目を唱えている。
しかし外出する時や寝坊をした時は3千回に届かない時もある。
そういう時の妻の顔にはどこか物足りなさを感じているが
「勤行は回数の問題じゃないんだ。出来る範囲で精一杯
させてもらえば、足らずは日蓮大聖人が埋めて下さる」
と教外者の私に云われて納得している。
我が家では、家庭の中に信心があるからこそ
妻の趣味でもなければ私の趣味でもないと
互いに理解し合えているように思っている。
(前編)(後編)(③)
ある女性から娘さんに信心が伝わらないと相談を受けた。
その家族はご主人と娘さんの3人家族で
御主人は妻の信心には反対はされてはいないけれど
ご自身は信心されておらず、
信心されているのは、相談のあった女性ひとりということだ。
娘さんも子供の頃には母親と共に教会へは行っていたが
すでに成人となり社会人となっている。
そんな娘さんのことで思い悩む女性は、
一緒に教会へ行こうと誘っても断られ、
行かない理由を聞くと「行っても変わらないから」と答え
「信心はお母さんの趣味」と言われたと言います。
あれから後も女性のことが気になっている。
今では娘さんは家を出て独立し、夫婦のみの家族になっている。
相変わらず御主人は信心をされていないが
女性は熱心に教会参拝を続けているし、
月例祭や御大祭の御用奉仕も積極的に続けているようだが
なぜか女性との会話に信心が感じられないのだ。
同じお教会の方ではないので詳細は分からないが
自宅から電車に乗って1時間以上もかかるというのに
苦にもせず教会参拝しているとは聞くけれど
信心の研修会に参加したとか御本部参拝したという話は
そう言えば聞いたことがない。
私自身も春と秋の御大祭には参拝させて頂いているが
教話の時間になると、裏方に入って用事をしていて
一緒に教話を聞いたことがない気がしてきた。
我が家では夫婦で宗教が異なるため
自分の信心を知ってもらうために
私は聞いてきた教話を家で話し、
妻もまた座談会で聞いてきた話を家で話す。
互いに異なる視点で考え方や受け止め方を話し合うことで
お互いの信心の共励にもなっており
宗旨は違えども同じ視点で信心させてもらえていることを
だんだんと実感してきたが
女性はそういう信心の研修をどこでしているのだろうか?
参拝するだけなら近所の神社とあんまり変わらない気もする。
妻は毎朝の勤行で3千回お題目を唱えている。
しかし外出する時や寝坊をした時は3千回に届かない時もある。
そういう時の妻の顔にはどこか物足りなさを感じているが
「勤行は回数の問題じゃないんだ。出来る範囲で精一杯
させてもらえば、足らずは日蓮大聖人が埋めて下さる」
と教外者の私に云われて納得している。
我が家では、家庭の中に信心があるからこそ
妻の趣味でもなければ私の趣味でもないと
互いに理解し合えているように思っている。