我が家には河童のぬいぐるみが80体以上もいる。
全国各地には河童にまつわる伝説も多く残されており
旅行先で河童博物館などがあれば必ず訪問している。
我が家が河童と関係が出来たのはもう20年くらいになるだろうか?
妻が仕事先でお客様にバカにされると私に泣きついてきたことがあり
「そんな時は、河童になって負けといてやれ」と
アドバイスしたのがきっかけで我が家に河童がやってきた。



この「河童になって負けてやる」という考え方は、
私が子どもの頃に足の障がいを理由にイジメに遭っていた頃に
自分で編み出した生き方である。
河童を含め、日本にはさまざまな妖怪が住み着いている。
考えようによっては、この妖怪も本来は人間であり
さまざまな障がいのある人たちのことを妖怪と表現して
さまざまな神話に登場してきたのではないだろうか?
例えば、孫悟空(西遊記)では三蔵法師という人間が
サルとブタと河童を連れて天竺を目指すお話だが
完全なる人間は三蔵法師のみで
動物や妖怪として表現された昔の障がいのある人たちと
旅をしているとも考えられるし、
完璧な人間というものはいないとして考えれば
さまざまな障がいのある人たちが力を合わせて暮らすのと似ている。



妻にもよく言うことだが、「100点満点のことが出来なくてもいいんだ。
お互いの得意分野で苦手分野を補い合うことで80点が取れれば十分なんだ」
「河童になる」ということは自分も完璧な人間でないことを悟って
相手の不完全な部分を理解してあげればいいんだと思っている。



さらに私たち夫婦の場合、私は金光教、妻は創価学会と宗教が異なるけれど
我が家には河童という妖怪が住み着いており、
その河童たちがそれぞれの性格を生かして得意分野で
私たち夫婦の生活を守ってくれている。
そう考えれば金光大神の御力も日蓮大聖人の御力も、
すべては河童の霊力として受け止めることで夫婦がひとつの信仰となっている。
日々の生活では河童たちにドーナツやお団子、プリンをお供えしながら
夫婦仲睦まじく暮らしており、河童たちに守られている。


まだまだ居りますよ。