
※撮影時、妻がすでに1個食べてしまったので少ない。
先月、我が家にミカンが届いた。
山口県にお住いの信心の先輩の娘さんからである。
今年の年賀状でお父様が入院されていると娘さんからハガキが届いたので
教会でお届け(神様にお願い)して御神米(お下がりのお米)を
送らせて頂いたことの御礼であろう。
その先輩とはもう10数年も前になるが
先代の教会長先生から輔教の御用を勧められ、
輔教志願者講習会を受けるための一泊研修会の時に宿泊した光風館で
たまたま同室になった4人の中の1人である。
輔教という御用は、教会長を助けることが目的とされているが
何をすれば助けることになっているのかまだ理解できないでいる。
教主金光様から輔教の任を受ける時も
他の教会の方々は進んで御用をされておられるような方ばかりだったが
当時の私は「少ない御用で大きなおかげ」の最小公倍数を求めるくらい
消極的だったから教会長から「させられた」としか思っていなかった。
あれから10数年を経て
「教会に参拝する」という気持ちから「みなさんに教会に参拝していただく」
というように受け止め方が少し変わってきたが、そのくらいでしかない。
御神米を送らせてもらったのも、同じ輔教として出来ることを考えた結果
せめてそのくらいのことしか出来ないと思ったからだ。
先輩は「ほとんどの人の話は教祖様の御教えを引用して話されるが、
私の話はふつうに話をしている中に信心が入っている」とおっしゃって
大変気に入って下さいました。
そういうことを言って下さる人は、他にも2人おられるが
自分が一番、何をおっしゃっておられるのか理解が出来ません。
決して信心の話をしようと思ってしているのではなく
大阪人としてどうやって話にオチを付けるかを考えているだけでしかない。
しかしそんなええ加減な信心の真似ごとでしかない自分なのに
娘さんからの手紙には「ああいう人の祈りはすごいんじゃ」と書かれていて
完全に誤解されている。
その気持ちを妻に伝えると、「誤解されてるんと違うよ。
あなたの真心が伝わって喜んで下さっているのよ。よかったね。」
と言ってくれたが、それほど大したことしたという意識はない。
結果的に家族ぐるみで喜んで頂いたということはありがたいことと
ただただ神様に御礼を述べるのみである。