先日、子どもの頃からよく知っている金光教のご信者さんに会った。
少し話をする機会があり、妻が創価学会の信心をしていることで
互いに理解できず苦労した時期もあったが、
信心熱心な妻がいたから切磋琢磨して私自身の信心が強くなり、
共々に願い合い、お教会で聞いてきた教話を家でも話して
夫婦で信心の共励が出来ていてありがたいという話をした。
すると黙ってずっと聞いていたご信者さんの中の一人が最後にボロっと
「本当なら奥さんは嫁いだ先の宗教に入らないといけないのにね」とおっしゃった。

それを聞いて私は、
「今どきそんな古い観念を持ち続けている人がいるんだ」と悲しくなってきた。
戦後、日本国憲法が改正され家長制度も廃止され、国民の価値観が変わってきた。
この話はつい最近放送が終了したNHKの『虎に翼』でも報じられてきたことだが、
令和の時代にまだそんな価値観の人がいたとはと思うと、悲しくなる。

80歳くらいのその女性が昭和から平成、令和と時代が変遷する中で
ずっと同じ価値観を持ち続けてこられた背景を考えてみた時、
言い換えればその女性がずっと我慢されてきたことなのかも知れないと感じられる。
自分たちは夫の家庭に入り、自分の家の宗教までも変えられてきたことを
今もずっと我慢し続けてきているのに、
私の妻は、なんて勝手なのかと思われたのだろう。

妻には話をしたことはないが、
妻なら宗教を変えるくらいなら結婚に踏み切らなかったことだろう。
彼女の信心は当時からそれくらい強い信心をしていたし、
社会福祉を専攻したおかげで自由の生き方を学んできた私としては
信教の自由は憲法にも規定されていることであり、
結婚をする時からお互いの宗教を意識し、互いに尊重をするために
当時にはまだ珍しかった人前結婚式を選んだ。

金光教では「人が助かりさえすればいい」という考え方があり、
教祖様が「熱心だからと法華宗を勧められた」という記録もある。
その日、一緒に聞いた教話にも肩書や家柄に囚われない先進的な考え方という話もあった。
その女性は50年以上も信心されてきたにもかかわらず
ずっと我慢されてきたことを思うと、助かっておられないんじゃないかと思ってきた。
それならばせめて残りの人生は、
今からでも宗旨替えをされて生き生きされればいいとそう思った。
わざわざ言いに行くようなことはしないけれど、
彼女の気持ちが解放されますように、私は願っていきたいと思う。