先週アップした「辛抱について」を読んで、
たしかに世の中がどんどん便利になって辛抱することが
なくなってきたと感じている。
あの話にも出てきたようにおもちゃ売り場で
床にに寝転んで、駄々こねて「ウエー」と泣いてる子どもは
見なくなりましたし、
昔から「赤ちゃんは泣くのが仕事」と言われてきましたが
少子化と共に赤ちゃんや子どもの数も減ってくると
赤ちゃん泣き声や子どもの元気に遊ぶ声が「騒音」となり
苦情となる話もよく耳にするようになりました。

私自身においても最近は辛抱することを忘れています。
毎朝10時に参拝させてもらうようになって1年を過ぎたが
ひとつも苦労がないし、辛抱もしていない。
当たり前のように毎朝家を出て、当たり前のように教会まで来て
参拝して帰るだけ。
鉄道ファンなので、〇〇〇系車両が来たと言って喜び、
公園を横切る際には花が咲いていることに喜び、
子どもたちが走り回る姿に喜んでいる。
「神からおかげが出ると思わないで、信心からおかげが出る」
と書いてあったが、思い返せばなんら辛抱もしていない。
月例祭では皆さんがめいめいに準備の御用奉仕に努められており、
私は邪魔しないように心掛けて、
せめてもの思いで前日に掃除をさせて頂くだけ。
毎回途中で腰が痛くなるから一休みしてやっている。
強いて言えば、この腰痛だけが唯一の辛抱かな。大したことではない。
しかし参拝させて頂けるというだけでもありがたいことを知っている。
にわかにしようとしてもできないことである。
私の場合、ろくに辛抱もしないまま、おかげのタダ取りでしかない。