妻の信心が恐ろしく感じられる時がある。
思い起せば妻が私に好意を寄せていたことも知らなかった頃、
私は他の女性にうつつを抜かしていたがうまくはいかず、
友人の勧めもあり、たまたま誘ったのは妻だった。
妻とは気が合うというのか馬が合うというか、
こんなにピッタリくる人がいるもんだと感心し、今日まで暮らしている。
妻が私と仲良くなりたいと願を掛けて願い続けて今日があると考えれば、
信心の強さを実感してしまう。
彼女が好意的に受け止めてくれているからいいものの、
もしも真逆な気持ちが作用すれば、わら人形に五寸釘を打ち込まれるような
そんな危機的状況も危惧される。
そのことを妻に伝えてみたが、妻にすればのれんに腕押しの如く実感はなさそうだ。
妻にしてみれば、私が常日頃から伝えている感謝の言葉の方が怖いと受けとられているが
私にしてみれば私の信心でさえものれんに腕押しのような緩さにしか感じていない。
私は毎日10時の御祈念に合わせて教会に参拝させて頂き、
妻は自宅の仏壇に向かって1回につき3千回「南無妙法蓮華経」と御祈念して
私をはじめとする多くの人たちのことを願ってくれている。
その姿を見ながら、私の生かせて頂いている半分以上は妻のおかげと感じている。
つまりはお互いさまの部分があるようでもあり、それぞれの信心が相まって
夫婦で宗旨は違えども互いに願い合いが出来、家族勢信心が出来ているようである。
思い起せば妻が私に好意を寄せていたことも知らなかった頃、
私は他の女性にうつつを抜かしていたがうまくはいかず、
友人の勧めもあり、たまたま誘ったのは妻だった。
妻とは気が合うというのか馬が合うというか、
こんなにピッタリくる人がいるもんだと感心し、今日まで暮らしている。
妻が私と仲良くなりたいと願を掛けて願い続けて今日があると考えれば、
信心の強さを実感してしまう。
彼女が好意的に受け止めてくれているからいいものの、
もしも真逆な気持ちが作用すれば、わら人形に五寸釘を打ち込まれるような
そんな危機的状況も危惧される。
そのことを妻に伝えてみたが、妻にすればのれんに腕押しの如く実感はなさそうだ。
妻にしてみれば、私が常日頃から伝えている感謝の言葉の方が怖いと受けとられているが
私にしてみれば私の信心でさえものれんに腕押しのような緩さにしか感じていない。
私は毎日10時の御祈念に合わせて教会に参拝させて頂き、
妻は自宅の仏壇に向かって1回につき3千回「南無妙法蓮華経」と御祈念して
私をはじめとする多くの人たちのことを願ってくれている。
その姿を見ながら、私の生かせて頂いている半分以上は妻のおかげと感じている。
つまりはお互いさまの部分があるようでもあり、それぞれの信心が相まって
夫婦で宗旨は違えども互いに願い合いが出来、家族勢信心が出来ているようである。