信心をさせて頂く中で「御用奉仕」ということがある。
神様の御用を喜んでさせて頂くボランティアであり、
音もなく姿も見えない神様に
真心を向けさせて頂けるチャンスと考えており、
ただ用事を済ませるものではないと考えている。
だから教会長から御用奉仕について申されたことには
なるべく喜んでさせて頂くようにしているが、
中には苦手な御用もある。

私は子どもの頃には硬筆を習っていたことがあり、
決して上手い方ではないが
「読みやすい字」と言われることがある。
その一方、習字が大の苦手で
硬筆を習っていた時に同級生らには
「来週から習字をしてもらいます」と先生から言われるのに
自分だけはずっと硬筆が続き、
自分はまだ硬筆がうまく書けないから習字に上がれないんだと
ずっと思ってきたし、そのせいもあって苦手意識も強い。
おそらく親が契約した内容の違いだと大人になってから気付いたが
とうとう習字を習えなかった私の苦手意識はなくならない。

そんな私に教会長から、
黒板に白墨で次回の説教予定を書く御用を受けた。
どんなことでも喜んでさせてもらうのに
よりよって苦手な習字の御用を受けたことに心を痛めつつ
とりあえず書いてみたが、
何度書き直してもうまく書けない。
しかも白墨は、すぐには文字が浮かんでこず
30分くらい経ってやっと文字が浮き出てくるが、
さらに1時間くらい寝かせておかないと字が垂れてくる。
そのためうまく書けないから書き直しするのもままならない。
いや何度書いてもみても自分なりに満足のいく作品にはならず、
半日かけても終われない。
教会長は毎日書き直せばいいと仰るが、
それは日参するたびに苦痛が続くことを意味し、
とてもやってられない。

他の信者さんに習字の上手な人がいないか?と
声を掛けてみるも次々に断られ、
「あなたの字は味があっていいと思うわ」
と、褒められているのか貶(けな)されているのか分からない。
それでも私自身が受けた御用だから、喜んで受けさせてもらうべきだが
イマイチ気持ちが乗ってこない。
あまりにも下手だからクビにでもならないだろうか
と思いながら続けていた。

ある日の月例祭でのこと。
いつもお琴の御用をされている方の音がどうも外れている。
「弘法も筆の誤り」という言葉があるがどうも音が合っていない。
それを聴いていた私には、ひらめくものがあった。
お供えなんだから上手下手は関係ないんだ。
上手でなければならなかったらプロでなければならないし、
お金であれば大金でなければならなくなる。
今の自分に出来る精一杯をさせてもらえばいいんだ!

と思えてくると、
途中からお琴の御用をされている方を拝んでいた。
月例祭終了後、その方に御礼を申し上げ、
教会長を通じて神様にも御礼を申し上げたが、
毎月黒板に白墨で書くたびに憂鬱な気持ちは拭えない。