金光教だけなのかどうかは分からないが、家族勢信心という言葉がある。
自分一人で神様に向かうよりも家族が一丸となって勢を揃えて
神様に向きあえば祈りも強くなるという意味だと理解している。
しかしながら夫婦で宗教の異なる私たちの場合、
そもそも無理なことである。
金光教を信仰している私は神様であっても
創価学会の妻は仏様であり、
そのことの刷り合わせだけでもずいぶん苦労をしてきた。

私にしても妻にしても、夫婦あるいは家族で同じ宗教である人が
正直なところ、羨ましく思ってきた。
教会に参拝することでも、御用奉仕をさせて頂くにしても
夫婦で一緒に出来ることが羨ましく思ってきた。

しかしながら結婚して34年にもなると
私たちより先にご結婚された方々にも
後からご結婚された方々でも、同じ宗教でありながら
離婚された夫婦をたくさん見てきた。
離婚の話を聞くたびに、同じ宗教を信仰していながらなぜ?
と頭を抱えてきたものである。

ある方は、夫婦で同じ信心をされていても
信心にはそれぞれにレベルの違いがあるから
同じ信心だからうまくいくとは限らないと言われるし、
別の方からは同じ信心であっても性格や価値観は異なるから
合う合わないがあるものだと言われる。

だからこそお互いに愛し合っていても、一緒にならしてもらう前に
「(私が)結婚にふさわしい人なら結婚させて下さい。
万が一ふさわしくなければきれいな形で別れさせてください」
と妻が日蓮大聖人にお伺いを立てて決めて頂いたのだ。

そうとしてみて今になって考え直してみると
私たち夫婦は信仰の対象こそは違えども同じ方向を向いて信心しており
刷り合わせるのに10年もの月日を要したが
毎日毎日悩みながらも信心の話を重ねてきたことで
おそらく同じレベルの信心を共に成長してさせてきたようにも思える。
それならば宗教が異なり、祈る対象こそ違えども
家族勢を揃えた信心がちゃんと出来ているのではないだろうか?

そんなことを結婚34年の記念日を明日に控えて気が付かせて頂いた気がする。