こんばんは。

 

小夜子です。

 

 

 

昨日の記事では驚かせてしまいましたよね。

 

告白するのはとても勇気がいりましたが、温かく受け入れてくださって感謝しています。

 

 

人工授精という手段を選び、ありがたいことに可愛い子どもに3人も恵まれたことはとてもうれしいことなのですが、

授かれればいいというものではなくて、この選択によってまたその後の人生も悩む瞬間がありました。

 

ここが人間の難しいところですね。

 

 

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私は夫(夜明けさん)に拒否される側のレス妻です。

 

新婚からずっとセックスレス。

気づけば干支一周回ってました。

 

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さて、大切にしたかった部分なのでつい長くなってしまいましたが、序章は今夜でおしまいです。

 

 

 

 

私と夫の間にはどうしても越えられない高い山がそびえ立っています。

 

 

 



最初はどうしたらあの山を越えられるかなと策を練ってみた時期もありましたが、

何度かチャレンジ失敗したあとは「私には越えられないものだ」と錯覚してしまうようになりました。

 

自信もへし折られてしまった私にとってただ高い山を眺めてるだけの期間が長かったです。

 

それでも次第に諦めきれなくなって、ちょっと頑張って登ってみては

 

途中で転がり落ち、

 



もう二度と登らない、登ってたまるか・・!って思ったはずなのに、

 

それでもやっぱり登頂を諦めきれなくて、

あの頃見た景色をもう一度見たくて傷だらけになりながら登りました。

 

 

 

自分で言うのも少し違うような気がしますが、

これだけ重症のレスを克服できた事は奇跡だと思っています。

 

 

12年間色々とありました。

 

 

夜明けさんに関心がなくなった時期もありました。

 

どうでもいいやと思った時期も、嫌いになりかけた時期も、

絶対に熟年離婚してやると思った時期もありました。

 

 

 

それでも完全に気持ちが冷え切らなかったのは

 

私の心の中にあったかすかな希望が

私を支えてくれたからだと思っています。

 

 

先日、お話した私が夜明けさんと離婚しなかった(出来なかった)理由のひとつが、

「いつかあの頃に戻れるかも・・」という希望を捨てられなかったから。

 

 

 

 

そしてもうひとつ、私を支えてくれていたものがあります。

 

     「諦めない、冷めない」という合言葉でした。

 

  



 

夫婦といえども所詮他人。

 

 

お互いが努力し続けなければ簡単に冷めてしまう関係です。

 

温めるのには時間がかかるのに冷めるのは一瞬。

 

しっかり気持ちを燃やし続けないと簡単に火が消えてしまいます。

 

 

冷めてしまいそうな気持ちを必死に温め直して、どんなに消えそうになっても決して吹き消さなかった。

 

 

これが私が持っていたたったひとつの強さだったと思います。

 

 

 

期待するからこそ傷つきます。

期待しては何度も願い叶わず、傷つきました。

 

期待なんてしなければ傷つくこともないのに、やっぱり期待してしまう。

 

 

そんな時に私は何度も「諦めない・冷めない」と歯を食いしばって言い聞かせていたように思います。

 

 

 

正確に言うとこの合言葉を実感できたのはずっとあとのことになるのですが、

新婚当時から心の奥底で「諦めない・冷めない」を指針にしていたところはあったように思います。

 

希望を持つことで傷ついてしまうことにもなるのですが、それでもやっぱり

どんなに傷ついても希望を捨てられないのもまた人間だと思っています。

 

 

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余談ですが(そして急に壮大になります)が、

 

その昔、あの大量虐殺が行われた残虐なアウシュビッツ強制収容所で

収容所の壁に絵が描かれているのを何かで見かけたことがありました。

(記憶があやふやでアウシュビッツではなかったかもしれません・・・)

 

いつ死ぬか、いつ殺されるかも分からない、生きていても辛いだけの地獄のような収容所生活の中でも

みんなの疲れや辛さが少しでも紛れれば・・という思いから絵の得意な人が壁に絵を描いて過ごしていたそうです。

 

食べるものも着るものも満足に与えられず生きるか死ぬかも分からないような生活の中で

絵を描く人がいたことに私は大変衝撃を受けました。

だって私が同じ状況なら絵なんて描いたってお腹がふくれるわけでもないし、何の足しにもならないのに!

とてもじゃないけどみんなのために絵を描けるとは思えません。

 

 

あのような状況でも、絵を描くユーモアや、夕日を綺麗だと思う感受性が残されていたことに

人間の強さを感じずにはいられませんでした。

 

 

また収容中に生まれた赤ちゃんが殺されてしまわないように、母親が我が子を日中は見つかりにくいトイレの便器の中に隠し、休憩のわずかな時間を使って授乳をし、また強制労働に戻り、そして夜中に赤ん坊を助けに来る、

そういう生活の中で生き延びた赤ちゃんがいたことも衝撃的でした。

 

 

どんな過酷な状況でも、希望を捨てず、

どうにかして生き延びようとしてきた人達の力強さに胸を打たれ、

希望の持つ力がどれほど凄いのかを思い知りました。

 

 

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だから私が期待(希望)を捨てなかったというのも「自分で人生を切り開いていく」という観点からは

あながち間違ってはなかったのではないかと思います。

(まったく次元の違う話ですが・・・)

 

 

 

いつかあの頃に戻りたいという希望、

諦めない・冷めない、温め続けたいという希望、

 

この2つの希望を持ち続けられたことが私の中では大事なポイントだったと思っています。

 

 

 

私が選んだ人だからきっと分かり合える。

私が信じた夜明けさんだからいつかきっと向き合える時が来る。

 

 

夜明けさんを信じることは私自身の選択を信じる事でもありました。

 

 



 

 

このブログでは私と夫の夜明けさんが本当の意味で向き合い始めるまでの12年間の歩みを綴っていきます。

 

 

これは単なるセックスレス解消ブログではなく、

「どう生きるか/死ぬか」に真剣に向き合った私の人生のターニングポイントの記録です。

 

レスで悩んでいる人だけに関わらず

「噛み合あってない夫婦」全体に通じるものがあるのではないかと思っています。

 

 

 

では、本編へ入っていきます~~~。

 

 


 

 

 

 

長い話になると思いますがどうぞお付き合いください。