実家に戻ってから、子供の心のケアについて学びたいと思って、心理学の本や論文を読み漁った。そして自己愛というものについて知る機会を得た。

自己愛とは字の通り自分を愛することで、自尊心や自信の礎となるものだそうだ。

自己愛の起源は母親にある。産まれてふれあいが始まったときからすでに赤ん坊には自己愛が芽生えているのだという。
赤ん坊のうちは母親しかいなかった対象はいずれ父親、祖父母、友人と広がっていく。
初めての寝返り、はいはい、つかまり立ち、伝い歩き、そういう成長を喜ぶ対象がいることで、子供は自信をもち、自分がそうあることに喜びを感じる。自分と対象の間で共感の交流が繰り返され、自己愛は形成されていくそうだ。

親バカは正常な本能なのかもしれない。期待する、大げさに誉める、子供は親が自分にもつイメージを自身に投影し、それをエネルギーにさらに成長する。

けれど相手が共感をしない姿を示すと、バランスが崩れる。否定したり期待しなくなった親が主な原因だ。その積み重ねが許容範囲を越えると、自己愛の交流の輪、つまり学校や家庭に溶け込めないという現象が起きるそうだ。登校拒否、家出などの非行。このサインに気づかず放置された子供は、さらに大きな自己愛の交流の場である社会にとけ込めない人間になる。

自己愛が崩れたまま青年期を迎えると、心の自然治癒力のようなものが働き、自己愛を再生するために自己中心化というプロセスがはじまるという。自分探しのようなものだ。家族など、自己愛を満たせなかった環境から離れてリセットし、自分を中心に据える。自分探しのようなものだ。

そして自分に向けられていた目を他人へと向け、再び自己愛の交流を試み、これが成功することで自己愛のバランスは正常となり社会にとけ込める人間になってゆくのだそうだ。

そんな書籍を読んで、私は●●に置き換えずにいられない。

●●は、中学生の頃から登校拒否をして友人の家を転々としていた。彼の母親と義父は、高校生になってもそれを放置し、彼は卒業式の出席すらせず、テストだけは出席していたため卒業証書だけ得て高校生活を終えた。そしてその後フリーターや派遣社員をして、住む場所も職場も転々としてきた。

つまり●●は少年期から青年期にかけて、何度も再生を試みては失敗し、自己愛のバランスが崩れ続けてきたことになる。

そして私と結婚し、彼としては珍しく数年間同じ地域に住み、職場も変えずに続いた。

問題はあれど家族思いな父親を演じていた私の知る彼は、再生のサイクルの最中だったのだ。自己愛を再生しようとあがいていて、けれど私は彼の精神的な問題に気づかず、直せといっても直せないことに気づかず、意図的に直さないのだと見切りをつけて消えてしまったのだ。そして彼は再生のサイクルの初めに立ち戻ろうとしている。

生活を省みない浪費、放置して倍以上に膨れ上がった借金、それでも周りには羽振りよく振る舞っている。
これを、よくいるダメ男だと、その一言で済ませてもいいのだろうか?

離婚して、養育費はもらえるのか、面会などさせていいのか?

捨て去られた私の子供は、彼のようになってしまわないのか。

彼は、もしかしたらカウンセリングが必要な人間なのではという気持ちがもたげ始めた。