今、暗礁に乗り上げていることがあって.......。
こんな時、「吸いてー」と思う。

吸ってた時は、例えると機関車のようなものであった。
煙はもくもくだが、それによってぐんぐん進むのである。

大きな疑問がある。
作家でヘビースモーカーで煙草を辞めた人はいるのだろうか???
煙草のことを忘れている時間が少しずつ多くなっている。
そうでないと困るが。

思い出す時は
食後時々、疲れた時時々くらいか。

たまに、「ちょっと吸いたいかなー」と思う時は
「スーッパー」と言葉で言いながら(同時に軽い深呼吸をする)、
身振りで煙草を吸うポーズをする。これで概ね感情は収まる。

今時々思うこと。
煙草を吸っていないので、その方面においては少なくとも健康に向かっているという確信を持てるという事実に満足するのである。もちろん、これのみに満足し他を忘れてはいけないが。
煙草を吸わなくても生活できるレベルにはなったと思う。

しかし・・・・・・。

思考やストレス時に今まであった煙草がなく、
その替わりとなる回路が、まだ復帰していない模様。

煙草を吸わなかった時代にはどのような回路だったのか
覚えていないのだ。

それとも、、もともと煙草により余計な回路ができただけ
なので、無くなるだけなのかな?
よくわからん。

禁煙を医学的に論じている(または解明している)
サイトがあったら知りたいです。
別煙から3ケ月が経過した。
正直ここまで続くとは思わなかった。毎日40本は吸っていたのだから。

経験豊な先輩(禁煙10年とか)から見れば、たかが3ケ月である。

でも3ケ月である。3日坊主ではないのである。

この件は他の全てのことに当てはまる。
1日より3日。3日より1ケ月。1ケ月より3ケ月。3ケ月より1年。1年より3年。
3年より、、、、、、、、、30年。、、、、、、、、、、。

あたりまえであるが時は誰のうえにも等しく刻み、そして過ぎた時は戻らない。

積み重ねなければできないことは積み重ねる。それ以外に道はない。

私は人生に後悔したくはない。だたそれだけだと思う。
吸っていない自分が信じられない。

思うこと時々あり。

これは満足の証だろう。

それにしても
煙草って一体何だったのだろうか?
まあ、今更考えても仕方ない。

煙草から思い出す数々の思い出。
友の顔を。いっしょに煙草を吸いながら
議論、談笑した時間を。素晴らしい時間を。
煙草に感謝。
喫煙はニコチン依存症という「病気」なのであろう。

社会は世間ははっきり言わないが、結局そういうことなのである。

病気を治す気があるのかないのか。そこに尽きる。

うーん、言い難いが肥満も同様のことなのだろう。
別れた煙草はもう戻ってこない。
本当に、彼女と別れた時と同じ状況だよ。
いつまでジタバタしても未練がましいだけ。

「ぐっ」と堪える。ただただ堪えるのみ。
時の経過が着実に辛さを消してくれるから。


新しい変化が起きた時のみここに書こうと思う。

それまでアディオス。
今まで思考するためにニコチンにより脳を活性してきた。
この場合、酸素の吸収量が吸わない人よりも少ないそうだ。
要するに基本性能の悪いエンジンを活性剤などで帳尻合わせて
いるような状態だった。

今ニコチンがない。
禁断症状に「眠くなる」というのがある。
何故眠くなるのか、はっきりとしたメカニズムはわからないが
ともかくこれまで活性剤(ニコチン)で酷使されてきた脳が休み
たがっているそうだ。

考えだそうとした時に吸いたくなる。そしてちょっと考えると
眠たくなる。
この段階をリハビリしなくてはならないのだ。
意外に厳しいリハビリである。
本などで
「禁断症状が強くなるのは禁断後2、3日から
2週間」などとある。
概ねこのような内容がどこにも記載ある。

しかし、これは全ての人には当てはまらないようだ。
いやいや、この論理は違うかもしれない。

私は
ストレスのかかり方によって違うのだと推論する。
つまり2ケ月後でもストレスが高いと、それを何とか
しようと脳が煙草を求め、そこに辛い禁断症状が
現れるのである。
実は今の私がそうなのだ。
もしかすると”いらいら”を禁煙のせいにしている
のかもしれないが。

煙草がなくてもリラックスできる方法を
体に自然開発させないとならない。
別煙を開始し、2ケ月。ニコレットもネオシーダーも完全に断って1ケ月。
どうやら何かしらの期間に突入したようだ。

それは混沌としたものと思えるが。

一般の病気で言うならば、まずは治ったのだけれど、油断をして無理をすると
”再発”するというような期間である。

今、私の体は吸っていない時に比べてどのようになっているのだろうか?
結果が目に見えてわかるのは年単位の先なのだろう。
あせらずに行こう、何事も。でも着実に積み重ねて行こう。回り道でもそれが
自分だけの自分にしかできない生き方であるから。