滝川クリステルが、やっていた深夜のニュースJapanをずっと前から見ていた。はじめは、なんか陰気
くさい、あかぬけない、ちょっと太めのハーフ女で、しゃべりもうまくないなあ・・・・と思っていた。
  せめて、あの暗い、貧乏くさい、雰囲気はなんとかならないものかと思った。
  しばらく、見ないでいて、また見た。一変していた。すっかり、すさまじいばかりの魅力あふれる女性に
なっていた。ここまで変わるのかと思った。

 たぶん、陰の功労者がいたんだろうと思う。名前は、出ないが、彼女を魅力的なキャラクターに仕上げる
ために、想像もつかないほどの努力をした、スタッフがいたのだと思う。そのおかげで、彼女は脱皮して、
今のような美しい蝶のような感じになったのであろう。

 1晩のギャラ、40万円とか。20日働いて、月480万円、年で約6000万円、うーん、すごいなあ。
それでも、このギャラも降板の理由のひとつになったとか。このところ、テレビ番組の高額ギャラ出演者の
リストラが、まっただ中とか。

 最近、化粧品会社のCMに出ているが、乗馬の姿は、ダッセーなあ・・・・・と思うのは、わたしだけだろ
うか?それと、横顔の鼻の穴の形にかなり、くせがあるようなのも・・・・
 ああいうモデルっぽい出演するのも考えものじゃないか?身長、かなり低いし。もっと、これまでの路線
を追求したほうが、いいと思うんだが・・・・

 それにしても、よく考えるのは、父親がヨーロッパ系で、ハーフ顔した美人のことなんだけど、はたして
そんなに、かんたんに、いいなあって思っていいのだろうか?
 だって、まちがいなく、その親父の顔を受け継いでるわけだよね?
 つまり、外人の親父の顔を間接的に、いいなあって思ってることにならないか?ってこと。

 そんなこと考えれば、日本人だって同じ。親父に似た面の女性なんて山ほどいる、というのは、理解で
きるけど、ハーフでまるっきりハーフ顔の場合は、完全に外人の親の面を受け継いでるわけで、よーく
考えてみると、わたしが男だというせいか知らぬが、複雑なんだよなあ。

 余談:鳥取の36歳の性悪殺人女や、埼玉や千葉で純粋な老人やオタク男性をだまして金をまきあげ
挙句の果てに、焼き殺したり、トリック殺人やった35女の報道見ていて、なんであんな、あきらかに性悪
な性格が、顔に出てるのを信用したのか不思議でならない。
 人間、早ければ30過ぎれば、性格が顔に出る!もんだ。40過ぎれば、もうほとんど、よそいき用や
仕事用顔以外は、かくしようがなくなる。50過ぎたら、もうごまかしようがない。

 私は、男は、なかなか見分けにくいと思った。とくにサラリーマンなどスーツを着ている人間など。それ
でも、多少会話をすれば、だいたい、どういう人物か見抜けるように、やっとなれたが、わかいころは、
まったく見抜けなかった。そうとう、痛い目に遭い、いやな思いをして、やっとのことである。気がついたら
もう自分が、若くはなくなっていたが・・・・・・

 わたしは、とくに性的魅力など感じない女性の時には、(ほとんどの女性ということになる)、この人が、
もし男だったら、男に生まれていたら、どんな男だったろう?と思うことにしている。
 はたして、鳥取の36女も、北海道出身のあの最悪も、どう思えますか?ってこと。
 そう考えると、男は、女を見ているというバイアスが晴れやすくなるだろうと思う。それでも、わからなけ
れば、餌食になるか、高い授業料を払って自分で学ぶしかないだろう。
 この作品は、現在では埋もれてしまった過去の文学作品と言えるかもしれない。作品どころか、著者自体
もうほとんど忘れ去られている感がある。私自身も、つい最近まで名前を知らなかった。

 どういうわけで読むきっかけになったかと言えば、NHK教育テレビで2度ほど偶然に取り上げられた場
面を見かけたからだ。その際のあつかいが、きわめて丁重であり、懐古的であったので、興味を惹かれた
ものである。

 たしか、この作品の価値性として、それまで文学ではあまりなかった主人公の精神疾患(とは書かれてな
いが)、メランコリー症候群を取り扱ったものであること(現代で言う鬱症状)、こども時代の美しい描写だっ
たかと思う。

 この作品、なかなか見つけるのが困難だし、BOOK-OFFのカートに入れておくと、あっと言う間になく
なってしまうので、なおさら興味を惹かれ、ついにほかのリクエストも合わせて、かなりの冊数がたまったの
で発注をした・・・・・・

 さて、感想を書いておこう。

 まず、主人公は子どもである。すばらしい解説文が示すように、こどもがこどもを見る視点で、大人が書
いている世界観の描写という視点で、稀有な作品世界を描出している。しかし、そこまでだ。

 いや、読みにくいったらありゃしない。途中で、何度腹をたてかけたか、わからない。句読点が、正しく
あるいは、効果的にも用いられていない。そしてこれも意図的なものなのかどうか、わからないけど、どこ
で区切ったらいいのか、わからないワードが随所に出てくる。漢字を用いれば、ずいぶん解消できたの
だろうけど、やはり上述のような視点での意図するところがあったのだろうか。

 この文章は、透明で美しい文体と言うが、本当に美しいと言えるのは後半に登場する1章と、その前後
くらいのように思える。それまでが、異常に読みにくいせいもあって、スポイルしているのではないかと思
えてならなかった。

 ふだん1時間最低30ページ(読みやすい村上春樹作品なんかは、70ページ以上)のスピードで読ん
でいくのだけど、とてもそんなスピードでは読めない。だからといって、内容が深いわけでも、濃いわけでもない。
だから、腹がたつのである。なんと言っても読みにくい。ただ、それだけなのである。おそらく、ちっとも読
者の面倒など眼中にないのでは、あるまいか。

 中勘助さんについて調べたが、最初は詩人を志したらしいことが判明した。西洋にあるような散文詩
の大作を日本語でやってみようとして、不可能を知り、小説に転向したとある。

 それで、多少納得がいった。これは、小説としてでなく、散文詩として創作されたものであるということ
か。まあ一気にそう断定するのは、早計かもしれないが、少なくとも、著者の意識のなかに、まったく生起
していなかったとまでは言えないだろうと思う。

 この作品を読んでいたら、ルナアルの「にんじん」を想起させる共通点を感じ出した。あそこまでドライ
で虚無的で、ある意味残酷ではないけれども、主人公同士に似通ったなにかがあるように思う。

 この作品、読みにくいが、時代描写や風光描写のなかに、今日となっては、もう望めないような失われ
た時代の記憶が記録されているのは、間違いない。その価値性においては、現代に生きる人間にとって
も鑑賞に値するようだ。ただし、その価値性を尊ぶ心性があっての話だが。
 また、リアルタイムでその時代の記憶を内在している人々には、また別の意味で記念碑的重量をもつもの
かもしれない。

 また時をおいて、散文詩を鑑賞するつもりで再読するかなあ・・・・・・・次は、最初ほど手こずらないだろ
うし・・・・・・


 余談:中勘助氏は、作家 野上弥生子の初恋の相手だとか・・・・・、それらしい女の子が、銀の匙にも
出てくるが、そこはフィクションの世界だから、かならずしも登場人物とはピッタリ一致してはいなさそう
だった。
 
(この内容は、GOOGLE BLOGGERに同時公開しています。)
 日本人は、背が低いと言われる。といっても欧米人がほとんどの先進国の中にあって・・・という条件がつく話ではあるけど。それでも、最近では日本人もずいぶん大型化したのではないだろうか。たしかに統計上のデータなどからすれば、欧米人との差は、彼らがともに大型化したことで全然つまってないというが、実際、スポーツ選手や政治家などが欧米人のそういう人たちと並んでみると、実感として、やっぱり日本人でかくなったよなあという気がしてくる。

 背が低いと言われる日本人でも最近は、欧米人のあこがれの理想的身長185cmに達する人をかなり頻繁にみかけるようになった。アメリカでビジネスエリートとかセレブでは、ずばりこの身長クラスが多いのだとNY在住10数年のまさにセレブ相手の有名ホテル勤務だった友人が言っていた。ちなみに、むこうで長身というのは、6フィート2インチ(188cm)~、大男は、6フィート3インチ(190cm)~というのがとおり相場らしい。日本人が、2m近い外人って表現するような大男は、意外にも100~200人に1人くらいしかいないのだそうだ。日本で見かける、なみはずれた長身の白人の姿を頻繁に見ると、10~20人に1人くらいいそうな気もするんだが、やっぱりそういう人が目立って見えてしまうからなのだろうか。

 そういやこのごろ大きい日本人をよく見かける。朝通勤で、のりかえる西武線のターミナルでは、毎日2人あきらかに190cmをこえていると思われる20代後半のサラリーマンがいる。1人は196cm、もう一人は、198cm~くらいだろうか。198cm~君のほうは、ときどき池袋からからの特急秩父の最終近くでも、見かけることがあるが。このあいだ、またニューフェイスでやはり195~196cmくらいありそうなメガネのサラリーマンが、電車の戸口際のとこで20cm近く頭の先をオーバーしながら目の前に立っていた。あーそれに、池袋から早く帰るときに先頭のほうに行って、やたらシート探しに必死なメガネをかけた30代くらいのやせ形の目のきつめのもしかしたら2mを少し越えてそうなやつもいた。ちなみに降りる駅では、60代の白髪のじーさんでメガネかけた人で195cmくらいのおっさん!もいる。

 日本人でもでかい人は、でかい。おそらく昔もそう。でかい人は、昔からでかかった。いや、昔からでかい人は、でかかった・・・

 今までじっさいに見た生身の人で最大は、やっぱり岡山恭崇さん。中央線でお茶の水に向かう快速線内で岡山氏が四谷でおりていくまでいっしょだった。
 はじめ中つり広告のむこうに顔がかくれていて、顔の下半分以下がのぞいていて、こんな大きい人が世の中にいるのか?と思った。肩までの先端がこごんでいる姿勢にもかかわらず、つりかわの先端の鉄棒の頂点(ここまで身長があると普通の靴で183cmくらいらしい:友人との比較から)より10cm以上高い!!って気づき、やっと誰なのか想像がついた。肩までで2m近いってことになる人間。ここまで大きい人は、大明神だけだろうなあって思っていたら、四谷で降りて行かれるのを見てたらやっぱり大明神だった。

 もしかして腰が悪いのか、上になにかぶつかることをさけてなのか、まるで年寄りののように極端にからだを折って歩いて行かれたが、それでも並の人間より20cmくらい上に出ていた。車内の様子からすると、腰の問題より、なにかにぶつかることを避けてなんだろうと思う。

 岡山大明神いったい本当の身長は、どれくらいなのか?公称230cm、NBAドラフト時に名簿記載された(正確な申告が前提だろう)7フィート8インチ(約234cm)、それからまた伸びたとも言うし・・・・・

 電車よりでかいと210cmをオーバーしてるらしいけど、日本人で見たのは大明神ともう一人だけ。埼京線の池袋で見かけた30前後のサラリーマンみたいの(元K1の佐竹を上に伸ばした感じでおおらかそうな感じの)。バスケットの関口選手(206cm)も2~3度見かけたけど、やたらでかかったが、電車よりは小さかった。