近所の店、知り合いの店が閉店すると、必ずある想いに駆られる。
「あの店と何が違うのか」、ひいては「何故自分の店はまだ残っているのか」
コンセプトか?
クオリティか?
サービスか?
スキルか?
価格か?
コストパフォーマンスか?
品揃えか?
メニューの字面か?
キャラクターか?
照明か?
雰囲気か?
調度品か?
BGM か?
看板か?
トイレか?
営業時間か?
立地か?
周囲とのマッチングか?
イベントか?
時代か?
家族の理解か?
努力か?
知力か?
体力か?
財力か?
人脈か?
そこに明確な解答がありそうには思えない。
「それら全部が複合した結果だ」というのが、模範解答なのだろう事はそれとなく解る。
が、仮にそれら全部に得点をつけたとして、総合得点の高い店が必ず生き残るのか?経済学だか経営学の専門家なら「その通りだ」と言い切るかも知れない。
しかしそうとばかりは言い切れない例を、自分はいくつも目撃しているし、いかにすれば店を潰さずにいられるかを語るつもりも、語る資格も、語る術もないから、経営学上の見地を検討しようとは思わない。
ただ、もし今後専門家によってそういう見地から診断された自分の店の評価を知る機会があるのであれば、是非とも伺ってみたいとは思う。
で、毎度最終的に自分をある程度納得に近い状態たらしめる答えが、
「運が良かった」
という事である。
運は二通りある。自分ではどうにもならない受動的なそれと、自分でどうにかした結果付いてくる能動的なそれである。
受動的なそれは、これはもう文字通り本人にはどうしようもない。明日雨が降るのを止める事は出来ないし、ビルの上から看板が落下して来るのを予知する事は出来ない。
しかし能動的なそれは、むしろ本人の行動に起因する。それまでその人がどう生きて来たのかが大きな影響となって現れる。但し、車を買ったからドライブに行けるとか、仕事をしたからお金がもらえるというような直接的な因果関係とは違う。誠実に生きて来たから素晴らしいパートナーと出逢えたとか、電車で御老体に席を譲った事が回りまわって大きな仕事を任せてもらえたとか、一見すると無関係に思えるような事が良くも悪くも影響して帰って来る場合を言う。
これはもはや、運と言うより縁であろうか。
人は、運と縁の狭間で浮き沈みを繰り返す。うちの店がまだ辛うじて生き残っていられるのも、その影響の結果に過ぎない。
運に一喜一憂する事なく、縁に感謝反省し、焦らず怠らず。
何かにつけて毎度わき起こる「ある想い」に対する自分なりの答えは、いつもそこに落ち着いて、そこはかとない不安を残しつつ日常に帰るのである。
…何の話だっけ?