「靖国神社」へ参拝した国会議員や大臣などが話題になっていますね。
それは何故なんでしょうか?
私なりに、若い人達の為に参考として書いてみます。
「靖国神社」へ参拝する、ということはどういうことを意味するのでしょうか?
靖国神社は、いわゆる「英霊」を奉っている神社です。
すなわち、第二次世界大戦で散っていった兵士たちや、戦犯たちを奉っています。
ここを参拝するということは、彼らに「感謝」するということを意味します。
よく右翼の方々が言う、
「彼らが日本を守ってくれたから、今の日本がある。」という事ですね。
では、これが何故問題になるんでしょうか?
これは国民の反発からではなく、海外、特にアジア諸国からの反発によります。
アジア諸国の反発は、彼らの立場に立ってみれば、理解できます。
「靖国神社」は、彼らに甚大なる被害をもたらした「戦争」を押し進めた人々を奉った施設なのですから。
その神社に、日本の中枢の人々が参拝し、感謝の意を表しているのを黙っていられません。
「国に殉じた先人に、国民の代表者が感謝し、平和を誓うのは当然のこと」という意見の一方
日本の右翼化、軍国化を懸念せざるを得ないのは当然でしょうね。
TVなどで知る中韓の「靖国参拝」に対するアレルギーは相当なものです。
これは1978年4月にA級戦犯合祀が公になり、1985年8月の中曽根首相の参拝以後は、
「A級戦犯(注1)が合祀されている靖国神社に首相が参拝すること」は、
中国に対する日本の侵略戦争を正当化することであり、絶対に容認しないという見解からです。
なのに何故議員さん達はわざわざマスコミを引っ張って「靖国参拝」するのでしょうか?
議員になる前から参拝している人が、自分の思想信条に従って議員になった後も参拝するのであれば、
私は良いと思いますが、議員になったから参拝しますなんて行為はどんなものでしょう。
特に、議員団などという集団で、国会議員が大挙して参拝するのは、地元の選挙民それも高齢者に対する
パフォーマンスでしょうね。
日本も中国、韓国も外国に対する強気をアピールして国内の歓心を得ようという事でしょうか。
アメリカからの要請も無視して安倍首相が参拝したのは
アメリカに対しても「強気」なんだ・・・とういう意見の一方
黙って言う事を聞いていた方が無難・・・
どっちなんでしょうね?
日本兵が戦友と別れる際、「靖国で会おう」と誓ったことから、靖国神社は日本兵の心の拠り所としての
シンボルの一つでありました。
一方で特攻隊の兵士たちの最後に叫ぶ言葉は、たいてい「天皇陛下万歳」などではなく、
母の名であったという話も聞いたことがあります。
要は「票集め」「諸外国へのアピール」などとは関係なしに
一私人としての「参拝」であってほしいと思いますね。
(注1)A級戦犯って?
戦争犯罪に関し、極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)により有罪判決を受けた方です。
裁判を免れたA級戦犯被指定者の中には、岸信介、児玉誉士夫、笹川良一、正力松太郎など後の著名人もたくさんいらっしゃいます。
「戦犯」というよりは,「戦争指導者」,「戦争責任者」,「敗者代表」とでも置き換えれば良いでしょう。
(参考)各国首脳の意見
ブン・トモ(インドネシア元情報相)
「あの戦争は、我々の戦争であり、我々がやらなければならなかった。それなのに、全て日本に背負わせて、日本を滅亡寸前まで追い込んでしまった。申し訳ない!!」
バ・モウ(初代ビルマ首相)
「我々を白人支配から救い出してくれたのは、日本だった。我々は、大戦終盤に日本を見限ったが、その恩は忘れない。日本ほど、アジアに貢献した国は無い。日本ほど、誤解を受けている国は無い。」
プラモード(タイ首相)
「日本のおかげで、アジアは独立できました。日本というお母さんは、母体を壊してまでも、アジア諸国という子供を産んでくれました。今日、アジア諸国が欧米と対等に話ができるのは、誰のおかげか。それは、自らを殺してまで産んでくれた、日本というお母さんがあったからだ。我々は、お母さんがお産を決意した12月8日を、全ての力を出し尽くし私達の国を産み力尽きた8月15日を、忘れてはならない。」
ウ・ヌー(ビルマ外相)
「高い理想と目的の高潔さに動かされたある国が、アジアの独立と民衆の解放に、生命と財産の全てを犠牲にした。その国の名は、『日本』という極東の島国だ。」
ネール(初代インド首相)
「彼ら(日本)は、謝罪を必要とする事など、我々にはしていない。それ故インドは、サンフランシスコ講和会議には参加しない。講和条約にも調印しない。 」
ジャマル・アリ(インドネシアタイムス会長)
「我々には、日本を批判するだけの韓国や中国と違って、歴史とプライドがある。お金を出せなどとは、360年間わが国を支配したオランダにさえ要求しない。」
アラムシャ(インドネシア陸軍大将)
「日本には、あと5年頑張って欲しかった。そうすれば中東とアフリカは、もっと早く独立できたはずだ。中東もアフリカも、こんなに苦しまずにすんだはずだ。 」
ナセル(第2代エジプト大統領)
(第三次中東戦争で惨敗後)「アジアには、日本がいた。アラブには、日本がいない。」
どうでしょうか?
日本ってどんな国だったのでしょうか?
大滝詠一さんが亡くなったそうです。
30日、東京は雨だったのでしょうか?
岡林信康さんや吉田拓郎さんのバックバンド時代に地元にコンサートでやってきて
生でも拝見しました。
当時、岡林信康と吉田拓郎といえば犬猿の仲でジョイントコンサートなんてとても・・・
の状況のなかで実現したのは「はっぴいえんど」のおかげですね。
当時から「大瀧節」は健在でそのボーカル、曲調がとても特徴があって好きでした。
「風立ちぬ」(歌:松田聖子)
「冬のリヴィエラ」(歌:森進一)
「探偵物語」(歌:薬師丸ひろ子)
「熱き心に」(歌:小林旭)・・・小林旭の大ファンだったそうです。
「夢で逢えたら」(歌:吉田美奈子)・・・のちに ラッツ&スターがカバー
他にもクレージーキャッツや植木等にも楽曲を提供していました。
私の青春ど真ん中で活躍されていた方でした。
ご冥福をお祈りいたします。
いろんな人に影響を与えていましたね、泉谷しげるさんもでした。

