東日本大震災の犠牲になられた方々に、心からお悔や申し上げます。

 

 

 あれから6年。
 3月11日から時が止まったままの方。

 

  あの日、日本海側の秋田でも、縦に横にと立っていられない揺れが続いた。これは家が潰れる、とその時感じた。それは2分数10秒間の恐怖。しかし、本当の恐怖と被害は、三陸を中心として関東の太平洋側にあることが次第にわかった。
 そして、原発の爆発。列島がふたつに折れ、日本が泣いた。
 その爪痕は、未だに癒やされることはない。

 

  この大災害後、よく耳にする言葉に「活断層」がある。
 日本に、2000とも3000箇所も有ると言われる「活断層」。

 比較的、地震が無いと言われる日本海側。実は、このような過去があります。
 
 1983年(昭和58年)5月26日、昼の12時ごろ、日本海中部地震があった。
 
 そのとき私は、昼食のソバを食べ始めて間もなくのことであった。
 激しい突き上げに、「何だ!何だ!」母が「地震だ!」と叫び、隣の部屋の買ったばかりの茶箪笥を必死で押さえだした。
「そんなことをしていたら、下敷きになる!」と、私は座布団数枚を母に掛け、自分も頭を覆った。
 
 どうにか揺れが収まった。床には、食べかけのソバ丼がひっくり返っていた。
  ことの重大さに気づいたのは、間もなく放映されたテレビからだった。地震の状況とともに津波の惨状が次々に伝えられた。

 
 YouTubeの画像をご参照下さい。
                 ↓
 https://www.youtube.com/watch?v=PblWn82hJSk
 
 気象庁が名称を発表するまでの間、「秋田沖地震」や「日本海秋田沖地震」と呼ばれていた。 その規模は、M7、7。震源の深さ14㎞。犠牲者104人。
 秋田県・青森県・山形県では10㍍位の津波があり、100人が犠牲になり地震での死者は4人と日本海側で最大級の地震・津波となった。

 

  遠足シーズンだったこの時季、秋田県北部の旧合川南(きゅう、あいかわみなみ)小学校児童は、秋田県男鹿半島、加茂青砂(かもあおさ)海岸の堤防の上で美味しく弁当を食べていた。しかし、津波は子ども達を容赦なく襲い、惨き運命は児童13名の命を奪った。
 生きていれば45歳ほどと思います。

 
 生死を分けたことの一つに、津波の時、咄嗟にリュックや水筒を握りしめたことが生還に繋がった児童もいたと聞きます。
 
 また、スイス人ご夫婦が観光に訪れ、津波にさらわれた女性の方が犠牲となり、その慰霊碑が男鹿水族館(GAO)近くに建てられています。
 画像がページ下にあります。    
                    

 

  このように、残念ながら日本海側での地震・津波はあります。
  簡単に、日本海側で最近発生した地震・津波を列挙いたします。

 

  1939年、(昭和14年5月1日)男鹿半島沖地震。M6、8。震度5。
                  死者27人、負傷者52人。

 

  1964年、(昭和39年)6月16日。新潟地震M7、5、震度5。津波4㍍
 死者、新潟県26人、山形県4人。
 石油タンク143基が12日間も燃え続けた。また、液状化現象が起き、このことをきっかけに液状化への本格的な研究が始まった。

 

  1993年(平成5年7月12日)北海道南西沖地震。奥尻町北方沖の日本海海底で発生し、推定震度6。M7、8。地震と津波は激しいものであった。死者202人。行方不明28人。また、ロシアでの行方不明者3人。
震度の推定は、まだ奥尻島には震度計が設置されていないためである。

 
 2004年、(平成16年10月23日)新潟中越地震。M6、8、震源の深さ13㎞
              直下型地震である。死者68人、負傷者4805人。

 

  2007年、(平成19年7月16日)新潟中越沖地震。M6,8、震度6強。
       直下型地震。死者15人、負傷者2345人。

 

  2011年、(平成23年3月12日)新潟・長野県境付近。M6、7、震度6強。
              死者3人、負傷者46人。

 

  2016年、(平成28年10月21日)鳥取県中部地震。
                                 M6、6、震度6弱。
                   負傷者30人。

 

  また、日本海側ではありませんが、熊本地震もあります。
  2016年(平成28年)4月14日熊本地震は、熊本県と大分県で相次いで発生した地震である。震度7が2回あり観測史上初めてという。

 

  記述の中で、家屋の倒壊・損壊等は省略しました。

 

  このように、日本海側にも地震・津波はあり、日本中何処でもが活断層ということです。
 
 地震の活動期に入ったといわれる今。時には日に何度も地震があり、その都度、「○○地震の余震と考えられるという(でも、本震の前触れかも知れません)」。余震、本震どちらでも恐怖心、被害は同じです。

 では、どうすれば良いのか。「防災」です。一番の防災は、地震・津波を日々意識することが大切です。
 
 私は、枕元に懐中電灯を一本置き、防災備品をリュックに詰めてます。
  
 話を戻します。そのような日本の地層・地盤を無視して、原発再稼働どころか、原発の新設も考慮されている。活断層が多い日本に原発は不向きです。
 悲劇を繰り返してはいけません。

 

 地震・地質学上、活断層が何処にあるのかを完全に把握は出来てません。つまり地震が発生した所が活断層なのです。

 

  東日本大震災で仮設住宅暮らしの老婆が、「こんな状況は、終戦後より酷い」この言葉が強く耳に残ってます。

 

 

  鴨長明(かものちょうめい。1155年生~1216年没)が、「方丈記(ほうじょうき)」で、災害を克明に表していることからして、日本は災害と戦渦の多い国ということがよく分かります。

 

そして今、原子力発電所で輩出される「核のゴミ」の最終処分場の選定に入っている。

これは、十二分に論議しなければならないことです。

 

 

  日本海中部地震で犠牲になった、スイスの方の慰霊碑です。(ネットから借用しました)
 

 

異国の地に没した霊よ安らかに

 

 

 

 皆様、日々を元気に過ごしましょう。

 

  「南三陸町防災センター」の記事と併せて読んで貰えれば、幸いです。

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https://ameblo.jp/good-image-story/entry-12150574682.html