桜も散り始めた春らしいお天気の穏やかな今日
昨年急逝した兄の
一周忌法要を行いました。
親戚は遠路のためとコロナのため
義姉は入院中で、もう兄の事はわからないので😅
私たち家族のみの法要でした。
でも新寺小路にある善道寺の
ご住職様は、どんな法要であっても
ご丁寧で、心に沁みる法話をお話しくださって🙏
お経も心がこもっていて私は、今の息子様の代になる前の
先代のご住職様時代から両親と連れ立って
子供の頃からのお付き合いでしたが
心の温かいお寺さんとのご縁に
本当に幸せだと毎回
感謝の念で
一杯になるお寺さんなのです🙏
本堂もとても立派で
入り口は現代的建築、中に入れば
歴史を感じる本堂には
ご本尊、阿弥陀如来様の木像が鎮座して
なぜかすがすがしい気持ちにさせられます。
一切お布施の事でも金額の要求はなく
いかなる時と場合でも「、金額を言ってください」と
こちらからいくらお願いしても
一度も金額を言われたことがなく
必ず「お気持ちだけで結構です・・・」という
お応えしか返ってきません。
葬儀社さんにも、今時こんな良心的なお寺さんは
珍しいんですよ!と言われました。
最近ではいくらいくらと請求してくるお寺さんもあると
聴いて驚きますが
檀家さんたちの経済事情も
幅が広い事でしょうから
金額も千差万別だと思いますが😟
善道寺さんはそれぞれの懐事情に
お寺さんのほうが
合わせてくださっているようにしか
思えません。
檀家さんたちの常識も問われるところだと思いますが
善道寺さんには頭が下がります
節度のある金額をと勝手に思って
お布施をお渡ししていますが
東北地方と関東地方ではまた違っているようですし
主人の実家は関東範囲なので
びっくりするような金額を提示されて
お布施としてお支払いしているようです。
夫はいつも「善道寺さんの対応は
今時本当にすごいよね~」と
驚いています
なんだか現実的なお話になってしまいましたが
そして今日の法話は↓
「四苦八苦」の由来
四苦八苦とは、仏教用語から派生した四字熟語です。
仏教の開祖である釈迦(しゃか)は、
この世は自分の思い通りにならないことばかりであるという
真理を説いています。
「苦」とは、思い通りにならないという意味です。
まず、「四苦」「八苦」とは、以下のものを指します。
これらは、人間の苦しみを大きく8つに分けた苦悩のことです。
- 「生苦」……生きる苦しみ
- 「老苦」……老いる苦しみ
- 「病苦」……病の苦しみ
- 「死苦」……死の苦しみ
- 「愛別離苦」……愛する人や物と別れる苦しみ
- 「怨憎会苦」……会いたくない人や物と会わねばならない苦しみ
- 「求不得苦」……求めるものが得られない苦しみ
- 「五陰盛苦」……肉体あるがゆえの苦しみ。
生きているが故の苦しみ
人はみな極楽へ行きそこは苦しみ憎しみや欲もなく
亡くなった人々は楽になっている・・・のかもしれませんね!
などなど・・・
兄の生前のお話なども
少ししてくださいました。
お天気にも恵まれ無時1回忌法要とお墓参り、
会食で供養を終えホッとしました。
もう一年?、いろいろ大変だった一年、
また一年後、3回忌、
そのころはいろいろと落ち着くといいなと願う私です
今日は目には視えないけれど
兄がいつも着ていたジャンパーを着て
にこにこして
一番の理解者だった(亡くなってからの今も)
姪である娘の横に座っていたのが視えた気がしました。
😍お墓を隅々まで綺麗に
お掃除してくれた主人🤓と
兄が最後に買ってきて食べることが
出来なかった、にらまんじゅうを
お供えに買ってきてくれた娘👩にも
感謝で一杯です。
兄や姉、母とお墓参りの帰りによくお邪魔した
鰻屋さんで法要会食。
無時一周忌の一日が終わりました。
※ ちなみにお葬式や法要とは
故人が亡くなったという事実を再確認してもらう大切な
儀式?!という事だそうです。
自分が死んだという事実を納得していない
と思っている故人もいるらしく、特に交通事故死や
脳梗塞など、麻酔が効いてる最中に亡くなったりの場合は
亡くなったという実感?がないそうで、読経や
法要で{あなたは亡くなっているのです」と
自覚をしてもらうという意味もあるとか・・・。
「僧侶の著書」より↓