私の父は私が会社へ

就職して一年くらい後に亡くなりました。

脳梗塞で3日間眠り続けて自宅で

そのまま亡くなりましたショボーン

 

今の時代でしたら

救急病院へ運ばれてすぐ手術をして

その後ももしかしたら不自由ながら何年か

生きたかもしれません。

 

父は紳士服の職人で

(腕の良い職人で何度も総理大臣賞などを取っていました)

会社まで立ち上げて

お弟子さんたちや営業マンなども雇って

仙台市内の中心部で頑張っていました。

そんな時代もそうは続かず、

最後は自分一人で服装店店主として

お得意様相手にコツコツと生計を立てていましたニコニコ

仕事柄、とてもおしゃれで

自分の洋服は全部自分でデザインして着ていて

着るものにはかなりこだわりがあり、

だらしない恰好はあまり見たことがありませんでした。

 

私の就職祝いにと私の選んだ生地で

スーツやコートも作ってくれました、

パーソナルカラー的に言うとばっちり

不思議と私の色(スプリングカラー)でした。

 

父の影響でデザイナ~などという今思えば夢の夢でしたが

そんな夢を目指して東京へ出たかった私をどうしても

心配で地元にとどめた父、

親子で泣きながら言い合いをしたこともありましたが

結果的にはそれも人生だったのかもしれません。

 

今こうして色にかかわる仕事ができているのも

父のDNAが役立っているのかもしれません。

 

 

お酒好きでお金がたまる暇もなかったようですが

子供たち5人を育ててくれて

兄も大学私と姉を私立の学校へ通わせてくれました。

 

経済成長期とはいえ家計は大変だったと思います。

 

私が東京へ行くのをあきらめて放送局へ就職が決まったときは

大変喜んでくれて安心したのか頑張りすぎたのか?

あっけなくこの世を去ってしまったのですが・・・

 

子供のころは、よく山へキノコ採りに

バイクの後ろに乗せて連れていってくれました。

大人が入れない狭いところは私の出番でした。

 

かご一杯に収穫して家に帰ると母が水に浮かべて

こうやると虫が取れるんだよと言いながら手のひらで

こすりながら枯葉などを取っていたのを思い出します。

 

父は子供のころ山を駆け回って遊んでたらしく

山が好きで、亡くなった後、ジャケットのポケットから

紅葉したもみじの葉が何枚か出てきました。

 

家は市内でしたが

30分~1時間もすれば里山に行けました。

 

父はお酒を飲むと機嫌がよくなり

お小遣いをくれるので

子供の私は近所に良くお酒を買いに行かされその都度

お小遣いをもらうのがうれしくて父のそばに座って

お酒の肴をつまんだりしていました。

 

お前が大きくなったら一緒にお酒を飲もうな・・・と

言いながら飲んでいましたが

大人になった私はほとんどお酒が飲めなくて

(お酒のつまみは好きでしたがウインク

お相手すらできないうちにお別れしました。

 

寂しがり屋の父は長男や次男、三男である兄たちへの

いろいろな 思いが

いつも胸に引っかかっていたのかもしれません

そんな思いをお酒で紛らわしていたのかもしれません。

自分が親になって今思うとそんな気がしてなりません汗

 

父は倒れる前の晩、

私のオーバーコートの取れたボタンを

つけなおしてくれていました.

 

 

疲れていたのに遅くまで全部のボタンを

つけなおしてくれていたことがいまだに、申し訳なくてあせる

それが原因で倒れたんじゃないかと

私はずっと思っていましたショボーン

 

心の中で手を合わせながら

何度も「ごめんね、お父さん」と謝りましたショック

 

母は遊び人の父の陰でかなり苦労もしたようですが

そのせいか一人暮らしになっても

一人最高!と言って100歳近くまで

私たち子供たちに大きな迷惑かけることもなく逝きました。

 

今亡くなった父と母の遺影を眺めながら、

この両親がいなかったら

私はいなかったと思うと感謝しかありません。

 

そして二人がとてもいとおしく思えてなりませんラブラブ

 

苦労したね・・・、

いろいろつらい事や寂しい時もあったのに

弱音を見せず

笑顔で私たちに接してくれてたね。

家計が苦しい時も私たちには

いつも美味しいものを食べさせてくれたね、

 

良い思い出しか今は浮かびませんが

きっと思い出とはそんなものなのかもしれません。

 

私の故郷は海も山もありませんでしたが

心のふるさとは父と母なのだと今は思えるようになりました。

 

お父さんお母さん

私を生んでくれてありがとう!ラブ

本当にありがとうラブ

 

 

今日はわたしのすきなテレビ番組の

「金スマ」で長渕剛さんが

ご両親、特に母親への思いを伝えていました。

 

迫力ある魂を揺さぶるような歌声のルーツは

やはり自分の育った故郷やご両親への愛から

始まったと知りました。

 

人それぞれの人生にはいろんな物語があります。

それぞれの親がいます。

 

子供のころ見ていた親の姿と

自分が親の年齢に近づいて行ってから思う

親への思いは

どんどん変わっていきます。

 

やはりどんな親でも自分を

この世へ送り出してくれたことを

思うと「感謝」しかないと思う

老兵カラーリストなのです。

 

長々とここまでお付き合いくださいまして

ありがとうございました。