仏教の三相(ダンマの様相、自然の様)の中にある無常、苦、無我の中にある

苦は四苦八苦は当然ですが「感じなければならない」「そうでなければならない」と言う

意味です。それは身近に、今まさにこの体を通してそれがあります。

 

息を吐けば吸わなければならず、

熱いものに触れれば熱く感じなければならず、甘いもの苦いもの塩辛いもの等

舌に触れれば味を感じなければならず、喉が渇けば喉が渇いたと感じなければならず

親や伴侶、子供身近な人々が死ねば辛く悲しいと感じなければならず、

殴られれば痛みを感じなければならず、罵声を浴びれば

悲しく感じなければならず、あるのは何でもかんでもなければならず

それが「自分」である意味はない。

 

逆に喜びも同じ。

お金が手に入れば、期待するものが手に入れば喜ばなければならず、

期待が成功すれば喜ばなければならず

食べてお腹がいっぱいになればいっぱいになったと満足を感じなければならず

身近な人々が成功すれば喜ばなければならず

喜びも何でもその様になければならず、それが「自分」である意味は無い。


 

そのプロセスを自身の身体で観て十分に知っていて

分かっているがしかし辞められないのが預流果。

 

例えるなら

「不貞な事をする妻を知ってるが妻に対して未練があり別れる事が出来ない」現状。

煩悩(貪瞋痴)に未練がる状態。

まだまだ悩み苦しみがある状態。

 

それ以上は知らない。