ごんざの時代のロシア語と現代ロシア語は母音の数がちがう。
1918年の正書法の改正までは「е」(e)とよくにた発音の母音があって、そのフォントを私はもっていないので、ここにかくことはできないんだけど、「tb」のような形をしている(これはラテンアルファベットのTとBの小文字)。
ふるい時代には「е」と「tb」はちがう発音だったらしいけれど、ごんざの時代にはすでにほとんどおなじだったらしい。そのことについては、村山版の解説にかいてある。
(以下、「tb」は「Е」と表記する)
「本辞典にはеとЕの著しい混用が見られる。ГовЕниеとその動詞形Говеюが並べられていることなどはその好例である。ロシア語においてはこの時期に既に両者の発音上の差異が弱まっていたことを示す。これについてはその実態を示すものとしてそのまま活字化した。」p.13
要するに本来はつづりわけなければならないものを「е」でつづったり「Е」でつづったりしている、ということだ。日本語でいうと(おどり)のつぎの行に(をどる)がでていたりしている、ということだ。
「е」と「Е」ではじまるみだし語をみてみると、どちらもすくない。「Е」ではじまるのなんて6語しかない。「е」ではじまるのはもうすこしおおいけど、半分ぐらいが「едино」(edino)(教会スラヴ語で(ひとつの))が前についた複合語で、のこりも外来語がおおい。
だから、語頭でこの両方のつづりが重複してのっている例はひとつもなくて、全部語中で重複している。
「ロシア語」(ラテン文字転写) 「村山七郎訳」 『ごんざ訳』
「весную」(vesnuyu) 「春を過ごす」 『ふぁるする』(春する)
「вЕсную」(vesnuyu) 「春をすごす」 『ふぁるとる』(春とる)
「летаю」(letayu) 「飛ぶ」 『とぶ』
「лЕтаю」(letayu) 「飛ぶ」 『とぶ』
「межа」(mezha) 「境界」 『しきり』
「мЕжа」(mezha) 「境界」 『さけ』(さかい)
「межую」(mezhuyu) 「区画する」 『しきる』
「мЕжую」(mezhuyu) 「境界を定める」 『さけする』(さかいする)
「мелю」(melyu) 「挽く」 『ふぃく』
「мЕлю」(melyu) 「砕く、細かにする」『ふぃく』
「пенка」(penka) 「麻の繊維」 『おのくづ』
「пЕнка」(penka) 「薄膜」 『おのくづ』
上の方の村山七郎訳は、みだし語のロシア語を訳したものではなく、ごんざの『おのくづ』を現代日本語に訳したもので、変だ。
「петелъ」(petel') 「鶏」 『にわとい』
「пЕтелъ」(petel') 「雄鶏」 『にわとい』
「пень」(peni) 「木の切株」 『つぶさ』
「пЕнь」(peni) 「切株」 『きのつぷさ』
村山版の解説に「訳語にぎごちない点もあるが、ゴンザの訳になるべく接近させようとした結果である。」とかいてあるのに、このペアでは、村山七郎訳がごんざと反対になっている。ごんざも村山教授も重複には気づいていないわけだ。
「разчисленныи」(razchislennyi)「勘定分けをしたる」『かんじぇわけたと』
「разчислЕныи」(razchislenyi) 「数えたる」 『かずしたと』
「седло」(sedlo) 「鞍」 『くら』
「сЕдло」(sedlo) 「鞍」 『むまくら』(馬鞍)
ごんざが『むま』をつけた理由は、馬につける鞍とロバにつける鞍を区別するためではなく、「たてものの倉」と「馬の鞍」を区別するためだろう。
「смечаю」(smechayu) 「数える」 『かんずる』
「смЕчаю」(smechayu) 「数える、結論する」『かんずる』