ごんざの「動詞+もの」5「きるもの」 | ゴンザのことば 江戸時代の少年がつくったロシア語・日本語辞書をよむ

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1728年、船が難破して半年後にカムチャツカに漂着した11歳の少年ゴンザは、ペテルブルグで21歳でしぬ前に露日辞書をつくりました。それを20世紀に発見した日本の言語学者が、訳注をつけて日本で出版した不思議な辞書の、ひとつずつの項目をよんだ感想をブログにしました。

「ロシア語」(ラテン文字転写)「村山七郎訳」       『ごんざ訳』

「сЕчка」(sechka)      「庖丁」          『きるもん』
「рЕзецъ」(rezets')      「切る物」         『きるもん』

「болванъ」(bolvan') 「木切、木塊(削った偶像の意あり)」『きるもん』

 「きるためにつかう道具」と「きられる素材」だ。日本語ではどっちも「きるもの」だ。

 ごんざは「ножъ」(nozh')「包丁」の訳語に『ふぉちょ』とかいているのに、「сЕчка」(sechka)には『ふぉちょ』とかかなかったのはなぜだろう。「сЕчка」(sechka)は「包丁」ではないのか。

 岩波ロシア語辞典で「сечка」(sechka)をひくと、「(キャベツなどを刻む柄が刀身の真上についている)包丁」とかいてある。「キャベツ専用」?「柄が刀身の真上」というと、「占」という字の形のような(上が柄で下が刃)、そばをきる時につかう包丁のようなものか、とおもって、ネットでしらべてみたら、全然ちがった。

「∈––」という字のような形で、左の半円の部分が刃、右の部分が柄になっているのだ。
「柄が刀身の真上」ってそういうことなのか。これはどうみても「包丁」とよべるようなものではない。村山七郎訳よりも、ごんざの訳語の『きるもん』としかよびようがない謎の道具という解釈の方がただしい気がする。

ボグ:ごんざ、「рЕзецъ」(rezets')(ナイフ)と「болванъ」(bolvan')(きる対象)がおなじことば、というのは変じゃないか。
ごん:師匠、またその話か。
ボグ:じゃ、もし、ここに、ナイフと木ぎれがあって、「ごんざ、ちょっとその『きるもん』をとってくれ」といわれたら、どっちをわたすんだ?
ごん:その人が木ぎれをもっていたら、ナイフをわたす。ナイフをもっていたら、木ぎれをわたす。
ボグ:どっちももっていなかったら?
ごん:両方わたす。
ボグ:むずかしいね。
ごん:まちがえることもよくあるよ。