この記事の続きです。
夫君の葬儀で、私は喪主でした。
当たり前ですが。
でも・・・しかし、私が葬儀の喪主をするなんて・・・なんで私が・・・
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6年前の母の葬儀の時は夫君が喪主を務めてくれました。
母の葬儀の時、父の認知症がいっきに進みました。
母は肺炎を悪化させて緊急入院しました。
主治医の指示で救急搬送することになったんです。
その様子を見ていた父は『いったい何事が起ったのか?』と思ったのでしょう。
驚いてかなりのショックだったようです。
母は集中治療室で10日ほど入院しましたが、残念ながら家に帰ることはありませんでした
そのバタバタとした短い間に
父は、母のことも私たち家族のことも分からなくなってしまったのです。
母の死は父にとって相当なショックだったのでしょう。
その時から、父の介護が始まりました。
父との同居も始まりました。
元々隣に住んでいたので同居みたいなもんですが・・・
それとほぼ同じころに、次女一家も一緒に住むことになったのです。
父はずっと農業を営んでいました。
ご先祖さんから続く農家です。
夫君も退社をしてから高齢の父を助けるべく、不慣れな農業を始めました。
しかし、彼も脳内出血を起こしたり、癌が見つかったりで、
徐々に体調不良となり思うように動けなくなってきました。
そんな折、次女のお婿ちゃんが『農業をします!』宣言をしてくれたのです。
「えっ!ほんまかいな!」
これが私と夫君の第一声(笑)
この宣言には家族みんなでびっくり!
母を看取った後、父の介護をどうしようかと考えていた矢先、
我が家はいきなり大家族となりました。
当時、2歳と3歳のちび孫たちが、とっかけひっかけ父の遊び相手になります。
父は『子供好きのじい様』本領を発揮することになりました。
まさしく好々爺。
楽しそうな『じい様とちび孫隊』の毎日が始まりました。
次女のお婿ちゃんが作ったトマト(笑)
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