なんちゅうか、激動の一年やったんです。
わたし。
この内容は、受け止め方によってはネガティブな暗い記事になってしまうかもしれないから、
ずっとその時のリアルな気持ちはアメンバー記事にしていたんですが、
一年経って、少しづつ気持ちも落ち着いてきました。
今の私にとっては愛する夫君と父のお陰で大きく成長できた一年でした。
だから、つらつらといつものブログ記事にしてみようと思ったんです。
冒頭には激動の一年と書きましたが、
6年前に母を見送ってから、私の激動の毎日が始まっています。
そのあたりもぼちぼち書いていきます。
去年の秋、夫くんは腎臓癌が悪化していて、11月には余命1カ月と言われ抗がん剤治療もできなくなり、緩和ケアに切り替えていました。
去年の今頃は、冬至を越せるか?・・・越せた!
クリスマスは迎えられるか?・・・クリスマス迎えた!
年は越せるか?・・・越せた!
そんな事を思いながら毎日看病していました。
12月の半ばに寝たきりの父を老健の施設に預かってもらい、夫君の看病に集中することにしました。
年の瀬も迫ってきたころ、
夫君はだんだん呼吸が苦しくなってきて、
酸素吸入をしてもらうために病院の検査を受けることになりました。
病院までは、主治医の指示で救急車で搬送してもらったんですが、
年末ということもあったせいか、主治医と病院側との連絡がうまくいってなかったようで随分手間取りました。
これって在宅で看病する落とし穴か?
検査が終わったのは寒い真夜中。確か日付も変わろうという時間。
タクシーもなかなか来なくて次女が車で迎えに来てくれました。
夫君曰く『あいつは頼りになる』
甘えん坊で頼りなかった次女が頼もしくなったな。
そりゃそうやな、彼女も社会人になり今では母ちゃんになったんやから。
夫君の症状はどんどん悪化し、呼吸も苦しくなってきました。
酸素吸入は規模の小さいタイプから大きいものへと切り替えてもらいましたが、
それでも苦しそうでした。
家で看病するには限界があったのかもしれません。
緩和病棟への入院も考えました。随分迷いました。
コロナ禍、入院したら家族との面会は1日1時間。
しかも乳幼児は緩和病棟へは立ち入り禁止。
孫が大好きな彼にとって孫に会えないことは可哀そうすぎる。
彼も家に居たいと思っているようで、
家族との時間を最優先し在宅で看病することにしました。
看護士さんに毎日来てもらい、すぐに主治医に連絡がとれる体制を取り、
できる限り自力でトイレに行きたいという気持ちを考えて、
介護ベッドはトイレの横の部屋に置いて少しでも本人の負担にならないように。
12月の後半には、
主治医の先生に処方してもらった栄養ドリンクでさえもだんだん飲めなくなってきました。
熱も出てくる。38度。
のどが渇くらしい。ポカリスエットを飲ませる。
スイカが食べたいという。
食べるものが受け付けなくなっても、スイカなら美味しいんじゃないかと思ったんだろうな。
長女が探し回ってイオンモールの果物売り場で見つけてきてくれた。
しかし、やはり、もう味覚はマヒしていて美味しくなかったよう。
冷たいものが欲しいというので、アイスのガリガリ君を買ってきた。
この冷たさと甘さが良かったようで、がりがり君にかじりついていた。
次女がなんどもコンビニにガリガリ君を買いに走った。
そうなると、むしろコロナ禍はありがたい。
近所に住む長女は育休中で、ちょくちょく孫たちを連れてきてくれました。
次女はリモートで在宅で仕事をしていたので、いつも側にいてくれました。
みんなが夫君の周りにいました。
お正月も家族が集まり毎年恒例のお鍋パーティをし、
三が日が明けて・・・4日に旅立ちました。
彼の最期は一番好きな家族に囲まれていました。
そして、愛犬もそばにいました。
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