解放を繰り返し かりそめの今に安住している まだ不完全で 壊すべき嘘も壁も内包していることは 百も承知だ ゆっくりとしか壊せない 解放は疑いと攻撃を伴うものだから  そして その先には 本当の自由があるのだろうと ぼんやり思う そこはしあわせなんだろうと推論を廻らし いつものお散歩コースの帰り道で また発見をしてしまう 完全なる安定は 静かなゼロ すなわち死の地平なのだろうかと  その連想はにわかには受け入れられなかった もう今は 無理を強いて厭世観に酔っているのでもないし あえて死を美化することもない安定期にあるのだから まあいい 死が幸せなのかもしれないなら 生を苦悩する力も弱まるかもしれぬのだし  恐怖でもないなら 残りの生を 静かに噛み締めて歩むのも あながち悪しきことでもなかろうと