2013年、生前退位したベネディクト13世の後任を決めるべく開かれたコンクラーベ(法王選挙)に故国アルゼンティンから投票のためにヴァチカンに来たホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿。
映画はその彼の回想のシーンから始まる。

予めお断りしておくが、これは映画評ではなく、人口の1%程度と言われる日本のキリスト教信者の数からみて、私を含む信徒でないものがこの映画を鑑賞するにあたって必要と思われる情報を提供するつもりである。
1936年、ブエノス・アイレスでイタリア系移民の中産階級の家に生まれたベルゴリオは、父親の教育方針から子供の時から働きながら学ぶように躾けられる。 そして子供ながら事務的な能力はなかなかにあったらしい。
神は永いこと待っていてくださった。
幼さな児の手を引を引くように、、、、
と召命の体験があって1958年イエズス会に入会。神学院で哲学と神学を学ぶ。
イエズス会は言うまでもなく霊操のロヨラと来日の宣教師フランシスコ・ザビエル達が、ルターの宗教改革に危機感を抱いたカトリックの内部改革を目指して設立した会であり、瞑想と祈りによって霊魂を鍛え神の意志をつかみ取って、イエスキリストの様に生きる道を求める厳しい信仰の会派である。
1972年神学院での指導力を買われてイエズス会の管区長に抜擢される。
1986年博士号取得のためドイツのイエズス会系神学院に留学。そこで「結び目をとくマリア」に出会って癒しを受け、

帰国後サルバドーレ学院院長。
1992年教皇ヨハネ・パウロⅡ世の命によりブエノスアイレスに引き戻され補佐司教。
1998年ブエノスアイレス大司教
2001年教皇ヨハネ・パウロⅡ世により聖ロベルト・ベラルミーノ教会枢機卿。
2013年76歳で教皇に就任。
このように経歴を挙げるといかにも順調に教皇への階段を上ったように見えるが、アルゼンチンの歴史を重ね合わせると、その道のりは険しいものであった。
以下、評伝「教皇フランシスコ」マリオ・エスコバル著(新教出版社)を参考にしながら足跡を辿る。
アルゼンチンや西の隣国チリ、東の隣国ブラジルを吹き荒れた、クーデターと軍政とミルトン・フリードマンの新自由主義経済の失政による一般大衆の疲弊、貧困。労働者や知識人たちに対する弾圧。
アメリカ大陸の盟主米国の軍政支持という、人道を民主主義を唱えながらの二枚舌外交。
第二次世界大戦で日・独・伊の枢軸国に対するスタンスをめぐって軍事クーデターの中から登場したペロン。労働者寄りの政策を推進したペロンは国民的人気を得るが、米国の内政干渉で幽閉され、大衆の支持で解放され1946年大統領に就任。
1954年には離婚を認める法を制定してカトリックと敵対、翌年にはヴァチカンから破門され、かつ軍事クーデターで追放される。
しかし、ペロンの支持者ペロニスタと軍人や富裕層、テクノクラート等との対立は深まりペロニスタの大弾圧が始まる。
1966年(ペルゴリオ30歳神学校在学中)オンガニーア将軍のクーデター。「アルゼンチン革命」を唱えて積極的な外資導入で工業中心の経済成長を図るがペロニスタの抵抗運動は止まず、69年(ベルゴリオ司祭に叙階される)コルドバ大学の学生運動から始まった暴動が国内諸都市に波及、軍隊が出動。
キューバ革命やチェ・ゲバラの影響からゲリラ組織が起こる。
1970年(この頃ベルゴリオはブエノスアイレスの神学院などで教鞭をとる)オンガニーアは失脚て弾圧に終止符を打つが国内の合意形成に失敗し、大統領選挙を経て1973年ペロンが復権。
そのペロンも78歳と高齢で翌74年心臓発作で死亡。76年にはまた軍事クーデターでヒデラ将軍が大統領に就任。フリードマン流の新自由主義経済運営で反って国内産業は衰退、インフレは激しくペソの切り下げで経済破綻する。この時「自由主義」に名を借りて「共産主義撲滅」を掲げ反乱分子と見做したものを誘拐。 捜索していた家族や人権擁護団体あるいは教会関係者なども誘拐され秘密収容所に収容、拷問され未だ安否のわからない市民の数は3万人とも言われている。
1982年(この頃ベルゴリオは神学院の院長)サッチャーのイギリスとフォークランド紛争(アルゼンチン側はマルビーナス戦争)で敗北。軍の威信は失墜し反軍感情が高まる。
1983年には民生移管選挙。
1984年ローマ教皇ヨハネ・パウロⅡ世の仲介によりチリの悪名高いピノチェト政権と平和条約を結ぶ。
民政移管後も過去のクーデターの再発による負の遺産が重くのしかかり順調に再建とはならない。
1989年労働者の支持を得て大統領になったメネムは民営化やペソのドルペッグでインフレを終息させたものの赤字や対外債務は増大、2001年にはデフォールト(債務不履行)宣言。
2003年にキルチネルが大統領に就任して政治経済がようやく安定に向かい、2006年には対外債務を完済。
しかしながらリーマンショックなどの国際金融危機には脆弱さが露呈し、まだまだ盤石とはいかないのがアルゼンチンの現況である。
映画の中で神学院時代のベルグリオが「解放の神学」のキリスト教左派と見做される場面がある。
神学には門外漢で明確な概念を持っていないが、信者を含む社会の圧倒的な貧困を前にして、キリスト者として如何にふるまうべきか、教会は如何にあるべきかを考える時、「カエサルのものはカエサルに」と政治権力と距離を置くだけで果たして聖職者の良心は疚しさを感じないのだろうか、という教会指導者としての態度決定を迫る問題である。
「解放の神学」とは1960年代、カトリック教会の現代化をテーマに開催されたマラソン会議(第二ヴァチカン公会議)以後、中南米の神父たちから起こった神学的立場で、社会正義、貧困や人道的立場の追及を教会外でも実践しようとした。そして神父たちの中には階級的視点を持つ者もいて警戒されヨハネ・パウロⅡ世以降の教皇たちは否定的立場である。
イエス・キリストの貧しいもの弱い者の立ち場に立った布教を「改革者イエス」としてとらえる時、教会や司祭たちの行動はより社会の中に入り込み彼らと行動を共にすることになるだろう。
それらを「人道的立場」とどのように一線を画すことが出来るのか。
ヨハネ・パウロⅡ世もベネディクト13世も「解放の神学」に立つ司祭を受容していないが、公的な否認もしていないらしい。
映画の中でのベルゴリオは生命の危険にさらされた「解放の神学」の司祭を助けているが、思想的に明確な立場を表明していない。
しかし、評伝「教皇フランシスコ」では、『彼は貧しい人々を重視するが、「解放の神学」とは一線を画している。貧困との闘いは隣人との間に築く各自の責任感に向けるべきであり、生産システムを変える方向ではないと考えるからだ』(184P)とやや意味不明、つまり各自の責任感とは何か、寄付か寄進か、自己責任かよくわからない記述だ。また生産システムを変える方向は「解放の神学」でも一部の聖職者や信者では無かったのか、、等々疑問が湧くのであるが、深い知識を有していないのでこの辺で止める。
この「解放の神学」に心を寄せているのではないか、というのがキリスト教右派からのベルゴリオに対する疑念であるが、 一方左派からの疑念は、軍事政権下の弾圧、わけても1970年後半、ヒデラ将軍の軍政にどのように振るまったのか、という問題である。
時の軍事政権に「反乱分子」と疑われた者が男女を問わず拉致、監禁、拷問され行方不明になって、その数は3万人とも言われる事は先述した。
時のアルゼンチン・カトリック教会上層部は、軍部を支持して事態を黙認、各収容所では、専属の神父が(拉致・監禁・拷問などの)任務に就く者たちに慰めを与えていたと言われる(同書44P)。
ベルゴリオは軍に追われた青年たちをかくまったり、拉致被害者を解放すべく軍の礼拝堂でビデラ将軍に直談判して何人かを開放してもらったり、自分と背格好が同じぐらいの青年に自分の身分証明書を渡し亡命させたりしている(45P)
行方不明の子を探す母親たちは77年に結集して行動を起こすが、組織に入り込んだスパイによって麻酔を打たれて拉致され軍用機の中から外に放り投げられてしまう。
その中にはベルグリオが修道会に入る前、化学研究所で働いていた時の上司で、彼の修道会入りを支援してくれた女性もいた。
この挫折感が彼を苦しめるが、博士号を取るためドイツの神学校に学んだいた時、「結び目を解くマリア」に出会ってその癒しを受ける。
2001年64歳で枢機卿に叙階されたベルゴリオは公的機関で委員を務めたり、行事の総書記を務めたりして能力も人柄も知られるようになり、ベネディクト16世が選ばれた2005年のコンクラーベでは次点、2013年のコンクラーベでは76歳、と高齢なこともあって下馬評には上っていなかったが,第266代教皇に選出されフランシスコを名乗る。
「恥ずかしがり屋で遠慮がち、口数が少なく自己アピールも皆無だ。だがまさにそれらが彼の最大の長所の一つと見なされている。質素で堅実な生きかたが強烈な精神性と相まって、徐々に彼を教皇の座へと近づけていっている」
これはあるバチカン専門記者がベルゴリオが枢機卿に叙階されて間もない2002年に書いたものである(3P)。慧眼の記者がいるものだと感心するが、コンクラーベに投票権を持つ同僚枢機卿も彼の人間性に、今のバチカンが抱える問題を解決する可能性を見たのだろう。
枢機卿になる程の人たちは概ね哲学や神学の博士号を持ち、人格的にも優れていると目されている。
そういう人たちの互選という制度もなかなかに良いものだと思う。
この世界で紛争や貧困や人権抑圧は依然として後を絶たない。
民主的な選挙で無知無能な指導者が選ばれることも多々あって、
それが新しい災厄を生み出すこともある。
その中で精神的な支柱として教皇が果たすべき役割も間違いなくある。
教皇フランシスコがその使命を果たすよう、彼の為に祈れずには居られない。
追記1:若き日の教皇フランシスコを演じた ロドリゴ・デ・ラ・セルナ(1976年生まれ)は、革命家ヘ・ゲバラの縁戚。
1928年アルゼンチンのブエノスアイレスの裕福な家に生まれ、医師免許取得後、亡命中のカストロ兄弟に出会い、キューバ革命をカストロと共に成し遂げ、ボリビアに潜伏中39歳で銃殺されたチェ・ゲバラの本名はエルネスト・ゲバラ・デ・ラ・セルナ。
同姓だが、なんとチェ・ゲバラのはとこに当たることを、ゲバラが医学生のころ友人と二人でバイクに乗って南アメリカを旅行した時の二人の旅日記を基に映画化した「モーターサイクル・ダイアリーズ」で監督を務めたウオールター・サレス監督が述べている。
「モーターサイクル・ダイアリーズ」Production Note
追記2:文中引用した「教皇フランシスコ」 (新教出版社)