リヒターの代表作の一つ、アウシュヴィッツ=ビルケナウは将来、ベルリンで建設中の新美術館の新棟に常設展示され、そこ以外では視ること不可能になる予定なので、コロナ禍のリスクを冒して出かけた。
始めに、出かける前に、映画アラン・レネ監督作品「夜と霧」を鑑賞し、ユリイカのリヒター特集号22年6月号を拾い読みし、ブログを書く前にコロンナ・ベルツ女性監督の作品「Gerhard Richter Painting」なるドキュメンタリーを鑑賞した事を記す。
リヒターは旧東ドイツのドレスデンに1932年、つまりヒトラーがクーデターで政権を奪取する前年に生まれた。
もう一つ、
ドイツ赤軍の「バーダー・マインホフ」の有力幹部、ウルリケ・マインホフは1934年生まれの同世代で、父母ともに美術史家、旧ソ連に生まれ西ドイツのオルデンブルグに移住しマールブルグ大学で過激運動に身を投じたがリヒターはドイツ赤軍の経営者誘拐やルフトハンザ航空ハイジャック事件などに深く心を動かされ、「1977年10月18日」という連作を制作した。
リヒターは、旧東ドイツからは、西に移住した境界人であり、移住した先の西ドイツ人からすれば、東ドイツ出の境界人である。
リヒターには境界人としての自意識とそれに伴う鋭敏な感覚(気づき)が色濃くあると思う。
会場で見ればわかるが、リヒターの多くの作品は、写真を元にペインティングした「フォト・ペインティング」か「アブストラクト・ペインティング」で「ビルケナウ」のような名前をもったアブストラクトはそれほど多くは無い。
つまり、リヒターは一連の絵を、ナチの強制収容所アウシュビッツ=ビルケナウ」を念頭に描いたのだということを明確にしている。
ビルケナウ、というこの4連の作品は、黒、赤、白、緑などが埋め込まれたアブストラクトである。
色の構成や配置、アクリル板や筆のタッチなどを逐一言い立てても無駄だ。その言及によって何かが産み出されることは無い。
この黒主調の絵、なにか暗い情念を感じる。
だから、ビルケナウについて不案内である鑑賞者は、例えばこの作品から311を想起しても良いのだ。
が、彼が題名でそれを排除したところに作品の意味がある。
リヒターは制作に当って、ビルケナウ解放後連合軍が撮った写真をキャンバスの脇に貼付けながら制作したという。
その制作は、アトリエの白壁にキャンバスを4枚架けて、中央のドロワー、手袋などの小道具が入った家具の天辺に、取っ手を付けたT字、L字のアクリル板を乗せ、そこに刷毛で絵の具を乗せる。そしてそれを縦方向や横方向に擦ってペインティングする。
どの色を調合しどう移動するかはリヒターの頭の中にあるが、その結果キャンバスに出来たものはリヒターの作為を超えて偶然性の高いものだ。
しかしその偶然性に委ねるだけでは無く、刷毛を使って上塗りしたり、時には刃物を使って表面を削る。削ることで下地が露出する。
(以上の制作過程などはドキュメンタリーから。以下DVDと称す)
会場ではこの4連の作品の対面にこれと同じ大きさの写真を展示している。 あきらかな質感の違いを感じるが、リヒターがそれを感じさせたかったのかはわからない。
当然に違うことを感じた鑑賞者も沢山いるだろう。
リヒターはDVDの中でアーティストと鑑賞者は平等だと言っている。
つまりアーティストの作品を鑑賞する者がいなければ、作品は完結しない。したがって作品の前に立った鑑賞者が作品から何を触発されたか、どんな知覚(Perception)が生まれたかを含めてアート、というものが成立する。
勿論アートがそれら鑑賞者達の集合である、といっているわけでは無い。
新たな鑑賞者が再訪を含めて絵の前に立つ、という契機によって新たにアートが産み出されてい行くと言うプロセスが永遠にある。
リヒターは一枚一枚を一気呵成に制作するのでは無い。
たとえば4連キャンバスで、ある制作過程を経たのち、作業を留め、「今日はこれまで」という。そして後日再びドロワーの上で諸準備をした後、鋭く自分が向かう絵を一瞥してアクリルや刷毛、刃物で手を加える。
そしてある段階になったとき手を止め、それが作品となる。
それはもう手を加える必要が無くなったときだ、といえば同義反復だ。
ニューヨークのギャラリーの女性オーナーとの会話の中で、彼女は
All of Painting 字幕では「絵の本質」が現れた時、と言ってリヒターも同意している。 もしかしたら Aura of Painting と言っているのかも知れない。 LとRの聞き取りはわれわれには難しい。しかしAura というのも魅力的な解だ。そしてその「本質」は言語表現が難しく、だからこそそれをリヒターは自分の表現手段、ペインティングで表現しているのだろう。
そして「本質」もいつも同じではない。いろいろな契機に、つまりわれわれ鑑賞者が作品の前に立つ度に違うPerceptionがあるように、作る側にもその都度違うものだ、と思う。
もう一つ付け加えたい。
制作中のリヒターは一種の瞑想状態、α波に満たされているのだと思う。
瞑想状態は夢遊状態では無い。意識は研ぎ澄まされているが、没頭し余念の無い状態だ。 身体もリフレッシュしてくる。酒もうまくなる。
ほぼ毎日瞑想するので自分に引きつけすぎかも知れないが。
このドキュメンタリー、監督の Corinna Berz の質問がいい。
すごく柔らかくて侵襲的じゃ無い。
男ではこうはいかないだろう。
答えるリヒターも率直だ。つまり自分に正直だ、飾るところが無い。
途中、美術史家ベンジャミン・ブクローとのやりとりがある。
リヒターの制作には予め計画が無い、という点について質問する。
「計画なしにどう正解を知るのか。”さあ完成だ”と判断するとき、無計画性はどう関係するのか?」という問いに、リヒターは
「制作を進めるほど、困難で不自由に(なって行く)。
それは手を尽くしたと納得するまで続く。自分の基準で間違いが無くなれば手を止める。それで完成だ」
「その間違いとは?問われるのは物質(対象?)か過程か」
「見た目の悪さ、それだけ。
そして作品の良し悪しを判断する資質は誰もが同じように持っている」
「良い、は”真実に関わる?
良い絵であるには表現すべき”真実”があるわけだ」
リヒターの「ああ、勿論そうだ」 で終わる。
以上については改めて説明する必要も無いだろう。
アウシュヴィッツを含む強制収容所はヒロシマ長崎とともに人類、20世紀の最大の愚行の一つである。
それを記録し、記憶に留める意味は二度と愚行を繰り返すまい、と決意するうえで意義のあることは言を俟たない。
一方記録し、記憶する媒体としては、写真や映像や絵画がある。
アラン・レネの「夜と霧」は1955年の作品であるが、フィルムは劣化するので放置すれば視聴不能になる。
DVDも記録媒体としては限度がある。写真も褪せる。
その点で絵画の方がより時間の試練に耐えると言って良いだろう。
多少ほこりを被っても表面を洗うことが出来る。
しかし写真や映像、あるいは文字情報に比べて情報量が劣る。
その分、映像や文字情報に比べて、短時間で何ものかを感じることが出来る。 が、冗長性は増すが。
かく長短それぞれだが、まずは作品に向き合うことが全ての始まりだ。
「ビルケナウ」であれ「夜と霧」(アラン・レネ)であれ、「夜と霧」(フランクル)であれ。 会期は10月2日まで。
余談だが、同展のとなりに、同館の所蔵作品が展示されている。
その中にはリヒターの作品も3点含まれている。
勿論”洋画家”の著名な作品も多い。
注目したのは藤田嗣治のいわゆる従軍絵画。
戦後同業者によって戦争協力を咎められ、失意の内に嗣治はパリに帰って帰化した。
しかし嗣治の従軍作品は戦争讃美では無い。
戦争の哀しみーかり出された者たちへの哀しみーが内包されている。
戦後、旧内務省の幹部、特高警察の残党達は、地方の知事や市長などの首長になった者が多く、自民党の2世3世議員はそれらの後裔である。
岸信介はその頂点にある者、と言ってよいだろう。
そうした巨悪と闘わず、さして罪の無い藤田のような者を人身御供にする。
日本人の権威に弱い、長いものに巻かれろ、の怠惰な心性だ。
「権威」といえば、たとえば展覧会場で床に「ここから中へは入るな」のラインが引いてあり、ちょっとでも入ると係が飛んで来る。
DVDでは」リヒターが世界各地の美術館やギャラリーで展示会の映像が出てくるがそんなラインを引いているところは無い。
いろいろと規制を設けて、それに従わせようとする。
これも「権威に弱い」心性を助長している。
最近「美術手帳」のデジタル版に「世界はなぜ韓国のアートマーケットに注目するのか」という記事が出た。
日本では海外作品の展覧会をするにはいろいろと規制が多く手続きが煩雑なそうだ。そうした手続きを煩雑にして、役人の裁量の余地を多くし、
それをよく分っている手続きを作った官僚の天下り先にするのが、日本の官僚の流儀だ。公立美術館の館長や理事長には天下りも多い。
放っておくと日本は、モダンアートのガラパゴスになり、アーティストも海外で活躍の場を見つけ出さざるを得なくなるだろう。
自分で自分の首を絞めているのだ。