妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)は、大化の改新(645年)前後に題材を採るが、大胆に換骨奪胎して、権力とそれに翻弄される男女の恋をクライマックスに据えた、全5段、9時間あまりの長編劇。この長さでは男女の恋も一つならず、脇役が主役の場面も多々ある。
1771年、大阪竹本座で初演。潰れかけていた竹本座がこの作のヒットで息を吹き返した、とある。
NHK制作のDVD5枚は7代目竹本住太夫(1924-2018、人間国宝)が出演しているが、いつどこで収録されたかのクレジットは無い。
DVDは幸いに字幕付きであり、これが無いとよく意味がとれなくなるが、太夫が語り、謳う謡曲(台本)もいくつかあるらしく、鑑賞に当たっては小学館の以下の書を脇に置いて参照した。
天智天皇の地位を奪おうとした蘇我蝦夷は、政敵中臣の鎌足に謀反の濡れ衣を着せて失脚させる。
領地争いで対立している大判事清澄と太宰の後室定高だが、清澄の息子久我の助と定高の娘雛鳥は恋仲である。
その逢い引きの場に鎌足の娘天智天皇の局采女が逃げ込んできて久我の助は機転を利かせて采女の窮地を救う。
蝦夷の息子入鹿は蝦夷の謀反を証拠立て父蝦夷を切腹させる。
入鹿は蝦夷が妻に白い牡鹿の血を飲ませて生ませたので超人的な力を持ち、実は自分こそが帝位に就こうと謀っていたのだった。
入鹿は、蝦夷謀反の取り調べには大判事に当たらせ、その息子久我の助を家臣に召し、定高の娘雛鳥を側室に召すという。しかし内心は久我の助が采女の行方を知っているとみて、召した後拷問にかけて白状させる腹であった。それを悟った大判事は久我の助に切腹させ、定高の娘雛鳥もこの世で夫婦になれぬなら自分も死のうとする。
「古は神代の昔山跡の、国は都の始めにて妹背の始め、山々の、中を流るる吉野川、塵も芥も花の山、げに世に遊ぶ歌人の、言の葉草の捨て所、妹山は太宰の小弐国人の領地にて、川へ見越しの下館、背山の方は大判事清澄の領内、、」の口上から始まるこの場。川を挟んで久我の助と雛鳥が言葉を交わし、大判事と定高が帰宅して、事の次第が明らかになり久我の助切腹、雛鳥の首を切る、と相成る次第。
二人が夫婦になるのはあの世で、と契りを交わす大きな山場。
この場面、先ずは浄瑠璃から
ついで歌舞伎
最後は歌川豊国の浮世絵
最後まで粗筋を追うと「ネタバレ」になるのだが、反面筋を知って、
この人形遣い、大夫、三味線お三者で構成される舞台を楽しむ方がより多く楽しめるだろう。
というのはこの舞台は「通し」で鑑賞するものではなく、一回の公演でいろいろな演目が出る。ちなみに5月の文楽公演のリンクを貼る。
人形浄瑠璃と言い、文楽という。
どう違う?と即座に疑問がわくが、竹本織大夫の書「文楽のすゝめ」にも説明はない。
よって、あるブログの記事を拝借する。
一度衰退した人形浄瑠璃は明治の初めに、「彦六座」と「文楽座」の二座体制になっていましたが、彦六座が解散したため、人形浄瑠璃を掛ける興行元が文楽座のみとなったのでした。
現在でもこの流れを引き継いでいますので、文楽がつまり人形浄瑠璃となっています。
この妹背山婦女庭訓は、5枚のDVDを9回に分けて鑑賞した。
巣ごもりの機会を活用して、今まで充たせなかった好奇心を満足させたが、とても面白かった。
さて、4月25日から三度目の緊急事態宣言が発令された。
GOTOや蔓延防止法でアクセルやブレーキを、大した根拠なく適当に踏んだ結果の三度目だ。
今インドで爆発的な感染が起きているが、関空も成田も防疫体制が甘いらしい。機内で自己申告で熱や症状が無いことを申告した者にはPCR検査ではなく抗原検査で済ませ、待機もスマホで確認するだけだという。既にインド種B.1.617が国内で見つかった。
トルコ旅行で連れ合いが猫に手を出してひっかかれて、成田の防疫事務所に立ち寄り、狂犬病の注射を打つよう勧められたことがあったのだが、その事務所は小さくて係官も数人であった。
まさか今もその時と同じ規模、とはもちろん思わないが、官邸のコネクティングルームカップルから始まって緩みに緩んだ自公政権と中央官庁の有様を考えれば、しっかりした態勢が取られているとは考えられない。その現状を「緊張感をもって」とか「最大限の努力」とか空々しい言葉で糊塗している有様が見え見えだ。
我々国民も自公政権に対して甘すぎる。
世論調査で満足しているのだ。
中には「悪夢のような民主党政権」という自公政権の催眠術に罹ったままのものも多数いる。
オリンピックを含めてこのつけを我々国民は払わされるだろう。
しかも憲法を「非常時に対処するには現行憲法では無理」という幻想を振りまいて、改定のための投票法を今通過させようとしている。
自公政権の本丸は「非常事態宣言」なのだ。
それを抵抗なく受容させるための数次の「緊急事態宣言」。
大袈裟な、というなら「世論調査結果」の今後を見ていてご覧。
世論はどんどん慣らされて流されてゆくから。