「トルコ周遊旅行」第五日目 | Gon のあれこれ

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読後感、好きな太極拳、映画や展覧会の鑑賞、それに政治、ジャーナリズムについて、思いついた時に綴ります。

今日はラマダに連泊のためバゲージコレクションもなく、出発も8時、とゆっくり。
欧米の米系チェーンホテルでは、フィットネスクラブの併設が当り前で、しかも朝は5時ぐらいから開いている。
しかし客室内にはディレクトリーもなく、昨日の長丁場で多少の疲れもあるので客室で休息する。

ホテルを出て数分で「三姉妹の岩」へ到着。
黒い溶岩が頭上に乗っかている茸状の岩が3本屹立している。
はるか遠くに望むエルジェス山(休火山)の7回に渡る噴火で火山灰が200メートル堆積。その上を溶岩が流れて頭部を形成し、降雨などにより火山灰が流失。溶岩が乗った部分の火山灰がその重みで流失を免れたものが茸状の岩となって残った、と説明を受ける。見渡すと、頭部が乗っていない岩も多くみられ、また現在でも頭部が崩落する岩があるらしい。

続く「ギョレメの谷」では洞窟教会を3箇所見学。
内部には教会とともに、食堂・厨房・倉庫・寝室がある。4世紀頃、遠くエルサレムからイスラームの迫害から逃れてきたキリスト教徒が避難・防衛の為に作ったシェルターである。
一つの教会には50人前後が暮らしていた、と聞いたので、ガイドの先生に、その集団は血縁か地縁か、と尋ねると「血縁」、更にそれは母系か父系かを聞くと、母系、と回答があったので納得する。

血縁では近親婚の禁忌が働き、母系では男子間の争いが少ない利点があると思う。
この施設が「攻撃の砦」ではなく「避難・防衛」のためであることに適った社会形成だ。

カイマルクの地下都市も迫害から逃れたキリスト教徒が、いざという時にモンゴル人やローマ人の攻撃をかわすためのシェルターである。避難生活が相当長期にわたっても耐えられるように、また攻撃され、突破された時の逃亡ルートの用意も必要だ。
人口増加に伴い地下都市も拡大し、500室、最大4000人が生活できるだけの施設・規模にまで至った。
教会、食堂、寝室、倉庫などのほか、ワイン醸造場、ワインセラーに加え、羊などを飼う部屋もあった。
入り口から中腰で地下深くに入って行くのであるが、日頃の中国武術の鍛錬が効いたせいか、呼吸を乱すことなく回遊できた。
なお、地下壕から始まったと思われるこの都市は、その始まりの年代も含めて謎が多く、発見も20世紀に入ってかららしく、ガイドの先生に聞いても今少しはっきりしない。

途中、トイレ休憩を兼ねて「絨毯工場」「陶器工場」を見学。
製造過程などを見せ、その秘術で魅了して売り子が付きっ切りで迫ってくる。
この販売手法は「毛皮工場」でも変わらなかった。
絨毯の製造は近隣女性の低賃金労働に支えられているそうだが、売り子の数は客の数より多く、販売経費肥大のいびつな構造が推測された。

なおサンセットをローズバレーから鑑賞。
少し横筋の雲が掛かったが壮大な眺めであった。
そこではトルコの豊富な果樹園から取れる果物の干したものやワインが売られていた。
ワインがどこが安いか、という話をしていてすぐ気づいたのであるが、ワインは保存状態がとても大切な商品だ。露天で日光に晒されたものが劣化したものである事は明らかで、値段以前の問題であると。