昨日は中国武術の稽古をさぼって、テアトル新宿へ。
この映画を「観よう」と思ったのは
1 プロデュースしたのが、寺脇氏であった事。
文部官僚として「ゆとり教育」を主導しましたが、点数至上主義の旧勢力に、結局は後退を余儀なくされた。
しかし、依然として「知識を活用するのが弱点」の現状を見れば、余りにも方針転換は早かったのではないか、と思っています。
その氏が、18禁の映画を、というギャップがいいですね。
もっとも、「日活ロマンポルノの時代」(未読)という著書があり、ポルノに造詣が深いらしいので、その流れでは、自然な道のりかも知れません。
この事に関して言えば、エロスは人生の重要な一部、と見做す故に、氏の企図に敬意を表したい、と思います。
2 坂口安吾の原作
中学生のころ、「無頼派」という言葉に惹かれました。
朝日ジャーナルか何かで、追悼特集 を読んだ所為だったでしょうか。
因みに今はkindle で無料で彼の著作が読めます。
勿論、同名の著作も。
3 18禁の映画を映画館で見るのは久しぶりです。
「Last Tango in Paris」 を30年ぐらい前に、丁度パリに旅行中、シャンゼリゼに面した映画館で見た記憶がありますが、乏しい語学力では、二人の男女の関係が十分理解できなかった、というフラストレーションがありました。
サボってまで見に行った理由は、これぐらいにして
先ず、原作にはない「復員軍人の強姦魔(小平義雄がモデルらしい)の登場が何とも違和感がありました。
確かに、安吾の小説に忠実に依拠したのでは、退廃的な男女のセックスを映像化しただけで、「映像化の意味」が薄いのでしょう。
この違和感は、最後に「女」に「強姦魔」がアプローチし強姦。、「女」はM性に目覚めつつあった中で本格的に快感を得る。そしてその子を宿し、、、、
更に、強姦魔の戦争中の大陸での残虐行為を、いわば上官の命令、即天皇陛下の命令と教えられてきた彼の同じ行為を犯罪とされる事に対する疑問の提示、、、などにより、ようやく解消する、という訳でありました。
しかし、原作に安吾が込めた「出口のない関係」を開き直って味わい尽くそうとする、一種の気迫のようなもの、は希薄になったような気がします。
他にプロットはなかったのか?
一方製作費は1200万程度らしい。
これがどれだけ困難な映画作りであったかは、これに昏いのでよくは解りませんが、セットの工夫からその苦労の一端を垣間見ることが出来ました。
何しろ寺脇氏にとっては、最初のプロデュース作品。
いろいろ考えるところもあったでしょう。
次作以降、大いに期待したいと思います。
尚同氏はこの映画に関し、インタビューに応じていますが、今それを捜せません。
見つかったら追加します。