「日米関係」とは何だったのか  マイケル・シャラー | Gon のあれこれ

Gon のあれこれ

読後感、好きな太極拳、映画や展覧会の鑑賞、それに政治、ジャーナリズムについて、思いついた時に綴ります。

孫崎著「戦後史の正体」に引用があったので、手に取ってみた。
「日米関係」とは何だったのか―占領期から冷戦終結後まで/草思社
¥3,360
Amazon.co.jp

孫崎氏は戦後の日本外交史上の政治家を「従米派」と「独自外交派」に区分、いわば新しい視点(私はこれを編集、と言いたい)を提示した訳だが、この本の読後感から言えば、本当にそういえるだろうか?と疑問がわいた。

たとえば岸信介を、安保条約改定でより対等な関係を目指していたから、「独自外交派」とし、大きな評価を与えている。

当時、鳩山ー石橋ー岸と交代するわけだが、既に鳩山時代、アリソン駐日大使はダレス国務長官に「日本は我々から徐々に離れようとしている」と警告、日本はアジアでの指導的地位を再び要求できるほどに強くなってくるに従い、その不平等な関係にいらだっている。日本の中国に対する特別な利害関係を認識し、アメリカ市場を開放し、琉球列島と小笠原諸島に対する政策を変更する事が重要だ。何よりも「不平等な」安全保障条約から生まれる摩擦が日本人を怒らせている」と警告している。(216P)

また、同書で、「彼は首相に就任後、CIAとのあいだに秘密の財政的政治的関係を築いた」とあり、岸の首相就任は米国の外交当局者を喜ばせた。

以上から言えることは、より対等な安保条約へ、は、米国でもいわば必然的な方向と認識されていたこと。岸がその方向に逆を行くことを期待されていたのではない事が伺える。

冷戦下の米国の日本に対する懸念は、日本が復興のために資源の獲得と市場を必要としており、特に中国との経済関係の復活は政・官・業のこぞって望むところであった。

一方アメリカはソビエト以上に対中国の禁輸を厳しくしており、日本は生存のために「中立」から更に「共産化」に向かうのではないか、と強迫観念があった。
(これは戦後から80年代くらいまで続いたように思われる)

岸の訪米に当たって、ダレスはアイゼンハワー大統領に「現行の安全保障条約にとって代わるものを作るため、アメリカ政府は変更を支持しているし、首脳会談の後交渉を再開したい」と岸に話してはどうか、と提案し、交渉が始まったのである。

この交渉の場での岸の武器は「不平等な関係を改めなければ、社会党などの左翼勢力が勢いを増し、日本を中立、ひいては共産化に進む」と脅迫する事であった。

この左翼をいわば「だし」にする手法は、米国から秘密裏に金を引き出すことにも使われている。(238P)また資金は旧民社党にも配られた。(239P)(279P)

また安保騒動の折には、「友好的な、あるいはCIAの支配下にある報道機関に、安保反対者を批判させ、アメリカとの強固な結びつきの重要性を強調させた。そしてついには全学連の急進的な学生の動きを抑えるために、活動的な右翼のグループに資金を提供した。(280P)

同書によれば、岸の退陣は、駐日大使が「五月十九日の国会での岸の非民主的、独裁主義的行動の反対する示威運動の中には、多くの非共産主義分子が参加していることを認め」「主要な問題は安全保障条約でなく、岸の不人気であった」として岸を見捨てるのである。

従って岸が倒れたのは「独立外交派」であった、とする事には無理がある、と私は思う。