私は20台後半の前の夫と結婚していた時、義母と一緒に

 

地方都市で暮らしていました。

 

若い時に同居していたと話すと驚かれるのですが、

 

実家も同居の大家族だったのでさほど抵抗感はなく、

 

義母が良い人だったことと、娘は小さく手がかかり、

 

かつ当時の夫は早朝から深夜まで仕事をしていたことで、

 

義母の手を借りることができる同居生活は、

 

当時会社を辞めたばかりでその後の人生や仕事を

 

模索したいと思っていた私にはむしろ好都合でした。

 

 

 

義母は若く美しく、ちゃきちゃきとした働き者で

 

料理がうまく、ほがらかな人柄でお友達の多い女性でした。

 

そして何よりも、娘をとてもとても可愛いがってくれていました。

 

 

 

家族や兄弟だからといって、必ずしも気が合うわけではない

 

と私は思っているのですが、義母と娘は祖母と孫という

 

関係以上に「気が合う・波長が合う」ようで、

 

2人でいると2人とも本当に幸せそうでした。

 

おかげで私は小さな子どもがいても安心して

 

職業訓練に通ったり、興味のある職種でアルバイトを

 

したりすることができました。

 

 

 

同居生活の終焉は、娘が4歳になる頃に訪れました。

 

当時の主人の都会への転勤が決まり、転勤先に義母が一緒に

 

来ないという選択をしたためです。

 

義母もいろいろ思うところがあったのだと思います。

 

 


その後ほどなくして私は当時の主人と離婚しましたが、

 

娘と義母の交流は途切れなく続きました。

 

毎年夏休みと年末年始を娘が義母の家で過ごすのです。

 

都会でシングルマザーになった私は娘が義母の家に滞在させて

 

もらっている間、自由に過ごすことができました。

 

娘が大きくなってからも、義母との親密さは継続し、

 

「世界一好きな人はばあちゃん」といつも言っておりました。

 

 

 

そんな娘と義母が、娘の大学受験とコロナの流行で

 

会えないまま2年が過ぎ、やっと会えると思った今年の秋、

 

闘病中だった義母は亡くなりました。

 

お通夜と葬儀に参加した娘が地方都市から自宅に帰ってから

 

ほどなくして、元夫から1通の手紙が届きました。

 

 

 

亡くなった義母の荷物を整理していたら、私が送った

 

娘の成人式の写真の間に挟まっていたという、

 

義母から娘への手紙でした。

 

成人式の写真を送ってすぐに、義母からはお礼の

 

連絡をもらっておりましたから、その時に

 

書いたものではなく、最近書いたもののはずです。

 

 

 

手紙には、娘から愛をたくさんもらったというお礼の

 

ことばと、娘の幸せを何よりも願っているということが

 

書いてありました。

 

見た瞬間に波がが止まらなくなりました。

 

義母の書き残した手紙は娘に宛てたこの1通だけだったそうです。

 

 

 

2年間会えず、危篤に駆けつけることもできなかった娘に

 

最後に義母はメッセージを残してくれたのです。

 

手紙が届いてから、娘は1週間くらい布団から出られませんでした。

 

お通夜も葬儀も参加しましたが、会えていなかったために

 

実感のわかなかった大好きな義母が亡くなったということが、

 

義母からの最後の手紙で現実のことだと実感したそうです。

 

 

 

義母は娘に最後に素晴らしいメッセージを残してくれました。

 

もしも自宅が火事になったら、娘は他のものはすべて諦めても

 

義母の書いてくれたあの手紙だけは絶対に持って逃げるそうです。

 

娘を最後まで気にかけてくれた義母には、感謝しかありません。