全中の朝。ホテルからの眺望。
長野市なので街中ですが遠くには信州の山並みが重なっています。
私、血筋は生粋の信州人。全中の舞台である長野市ではなく、もっと山奥の方ですが何故か懐かしさを感じるから不思議。
ホテルでしっかり朝食をとり、無事にビッグハット到着。
オリンピックの五輪マークに感動。
長野オリンピックが開催された時、スケート競技のために建設された由緒正しき会場。想像してたより遥かに巨大。
今年の全中が長野ビッグハットで開催されると知った時、どうか息子にここに連れてきて欲しいと願いましたが…今それが現実に。
埼玉代表というだけではなく、光德館の代表としての思いも胸に会場へ。今までの歩みは今日という日のために!ここに繋がっていたんだ。
素晴らしいですね!
第33回全国中学生空手道選手権大会!!
ここにいる全ての人達が各都道府県の代表であり、その選手達を育て、支えてきた方々なのだと思うと…ものすごい思いのエネルギーを感じます。
アップをし、息子にこれまで共に歩んできた想いを込めた言葉を伝え、試合前のメディカルチェックへ向かいます。
テーピング使用許可のためですが、息子の膝はテーピングだけではもう無理でオスグッド専用のサポーターを使用したいため、その許可を得ることに結構難儀しました。脛骨粗面に大きな亀裂が入ったレントゲン写真を見せてどうにか許可をいただくことができましたが…こういうところも今までの大会とはまるで違うのだと感じることに。
そして…目を疑うとはこのこと。
えっ!!館長先生がいらっしゃる!!!!ここ、長野だよね!??
どれほど感動が湧き上がってきたことでしょうか。支えに来てくださったんですね…ありがとうございます(T_T)!!
試合前最後の先生との時間。…創士、伊藤先生に出会えてよかったなぁ(T_T)
先生に感謝してもしきれない思いが込み上げてきます。
まずは女子の1.2回戦からスタート。今回の大会は近年スタンダードになっていた一人ずつ演武の点数制ではなく、1vs1のフラッグ制のため点数制なら上に行けるような選手も容赦なく序盤から消えていきます。。
さて、男子も入場を終え整列。試合開始直前…
この場に立ち、選手として並べることがどれほど誇らしいことか。
手前列、左から二番目が息子。
息子は一回戦シードだったため、二回戦からスタート。これは形の選手なら100人中100人が同意すると思うのですが、試合一発目の演武が一番難しいんです。一回本番のコートで演武して勝つことによって体を縛っている緊張の鎖や硬さが取れて二戦目から動きが本来のものになっていきます。脚的には一回戦シードは楽だけど、相手選手は一回戦を勝ち上がってきてる選手、果たして、、、
過去に幾度も大切な試合を経験してきましたが、これほどの究極渾身の思いで祈ったことがあっただろうか…
息子、初戦だけどすごくいい!何がいいって、こちらが言ってきた練習通りの打ち方(焦らず走らずしっかり間を取って止めるべきとこは止めて打つ)を見事にこの舞台で体現!緊張するとどうしても練習の時よりテンポが早く、少し急いた打ち方になってしまうのに初戦から完璧!!
テンポ早く打つほうがどれほど簡単か。形の途中で流れ的に速く&早く打ってしまうところを、速さを殺さずに一瞬止め、そして次の技に繋げていくことが技術的にどれほど、どれほど困難なことか…首里手系であるバッサイダイは特にそういう形。これも形の選手ならわかるはず。
「よしっ!!」と心の中では拳を握っていました。
結果、、0-5で敗退。
青旗5本が上がった瞬間思考フリーズ。
私の隣で見ていた母から「…早く創ちゃんの元へ行ってあげて」で我に返り、息子の元へ。
アリーナを取り巻く誰もいない外部廊下で息子と遭遇。この息子を見つけた時に湧き上がってきた感情を表現できる言葉がありません。
渾身の想い、愛情、感謝、、、そう、溢れて溢れて溢れ出してくる息子への感謝で抱き締めて褒めちぎり称えました。もうこれでもかってくらいに、褒め残しなど一欠片もないように。そして何よりも「ありがとう」と。
二年間に渡って苦しんできた脚の痛み、今年の初夏からは更にもう片方の脚も痛めてしまい、両脚がダメに。5月の県大会の時点では唯一本来の実力を出せる形だったアーナン…。バッサイダイやニーパイポといった指定形だけでなく、それすらまともに打てなくなってしまい…常に下半身をこれ以上壊さぬようにと庇いながら、出さなきゃならない技も出せず、落とさなければならない腰も落とせない練習の日々。。
スポーツや武道において土台となる下半身がどれほど大切な役割を果たすか…形の競技においては審判は下半身、脚、すなわちしっかりとした腰の低さや立ち方や安定性をものすごく見ています。
負けた最大の敗因はやっぱりそこだと私は思ってます。特に同じ形だったが故にそれが際立ってしまったのではないかと。
こうやってブログを書くことによって一つ一つ心の中も整理されていきます。自分が審判だったらどんなに二人とも素晴らしい選手であっても優劣をつけなければならない。高度な試合になれば僅かでも失敗したり、または何かが劣っている方に旗を上げるわけにはいかない、、それを前提に比較した場合、腰が高い選手、下半身が不安定な選手に旗を上げることはできない、、比較が容易い同じ形であれば尚更に。。息子だけじゃありません、この場にどれほど立ちたかったかしれないのに立つことができなかった全国に無数にいるであろう優れた選手達や、点数制であれば上に行けたであろう優秀な選手達が早くに消えていき、会場のいろんな場所で涙が。どの選手にもドラマがあるんです。みんな美しかった。
そして、だからこそ思います。そのコンディションでよくぞここまで戦い切ってくれた、この究極の舞台へ連れてきてくれたと。私は今日練習の通りに打ってくれた息子の形に満点をあげたい。
痛みに苦しみながら弱音も吐かず今日までやり抜いてくれた息子のこと、同じ男として心から尊敬しています。
そして見守ってくれていた師匠の元へ。
先生、褒めてくださいました。過去最高に。。そして負けた敗因は自分にあると…すまなかったと…
先生は最高峰の空手家の一人です。そんな偉大な方が中学生の弟子に謝罪されるなんて、そんなこと普通できますか。
創士も私も先生と出会えたから、先生の指導を受けてきたからこの場にいれたんです。こんな脚の状態でも先生の元で指導を受けてきたから県大会を勝ち抜くことができ、全中のコートで戦うことができたんです。
お盆という大渋滞する時期に、長野まで駆けつけてくださった師に対して湧き上がるのはただただ言葉にならないほどの感謝の気持ちのみ…私も、そして息子も一生この瞬間を忘れません。
伊藤先生ありがとうございます。何度ありがとうございますを言葉にしても、この気持ちは伝えきれません。
先生の元で空手をやってくることができて、創士は本当に幸せでした。始めた当初は全中に出るような選手になるなんて思ったことすらなかったのに…先生の元で育てていただいたからこそ、たくさんの夢を見させていただくことができました。その夢がどれほど眩しく尊い時間であったか。
私も弟子としてだけでなく、創士の父親としても本当に感謝してもしきれません。ありがとうございます!!これからも私たち親子は先生の弟子です!!
弟、慧二も一緒に。
お兄ちゃんは本当に凄かった、僕の誇りだと。
誇りだなんて、慧二からそんな言葉初めて聞いたよ。今回の大会がお兄ちゃんにとって過去とは全く違う特別な舞台であること、慧二もわかってたからこその言葉だよな。ありがとう、お兄ちゃんも内心すごく嬉しかったと思う。過去に幾度も味わってきた辛い時、慧二の朗らかな存在が俺たちを救ってきてくれたんだよ。
そして長野までなんと日帰りで駆けつけてくれたおばあちゃん。
どれほど…どれほど創士のために尽くしてくれたことか。これほど惜しみなく捧げ続けてくれた愛情に対して、私はそれに見合うほどの感謝の言葉を持ち合わせていません。
今日創士が身を包んでいるこの道衣も、おばあちゃんからの心を込めたプレゼントです。今日まで選手として戦ってくる中で辛いこと、苦しいこと、絶望したこと、諦めたくなったこと、数えきれないほどあった中で、常に変わらない温かい光として創士を照らしてくれたのは、支え、応援し続けてくれたのはあなたでした。人は苦しい道を歩む時、力になるのは厳しさだけでなく、温かさも必要です。それを担い続けてきてくれました。
息子、試合後おばあちゃんにこれまでの感謝をしたためた手紙を渡してましたが、、母は宝物以上の宝だと泣いていました。
もちろん私は内容は知りませんけど、きっと息子なりにたくさんの想いを込めたんじゃないかな。
今の創士があるのは本当におばあちゃんのお陰でもあるんです。どれほど大きな優しさで支えてきてくれたか…息子として言いたい、母よ、心からありがとう!!創士はあなたの孫で本当に幸せです。
妻とは見てる席が違ったので、演武中や勝敗が決した時にどういう反応をしてたのかわかりませんが、きっとかつてないほどの思いで見届けてくれてたに違いありません。どうしたって私とは空手への熱量が違いますが、ここまでの日々、時に私以上の審美眼で創士の修正するべき箇所を鋭く指摘してくれたりと、妻の存在もあって今の創士があります。きっと女親だから脚のことを憂いて心配の方が先に立ち不安も沢山だったと思います。
それに何より、創士に空手を始めさせて一年…まったく上達する気配もなかった時に「空手やめさせたくないんなら自分も空手やって創士を指導してよ!!」と私を叱咤してくれたのが妻でした。あの時の妻の叫びがなかったら…どうなっていたんでしょう。ここでもやっぱり感謝です。
そして創士を最後まで戦わせてくれて本当にありがとう。
そして試合後に応援してくださっていた方々からたくさんのメッセージをいただきましたが、本当にありがたく、涙なしには読めませんでした。
「創士くんの形は勝敗を超えた人に感動を与える形です!!!」
この言葉には親バカかもしれませんけど、ほんとに私もそう思っていて嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。試合で負けはしたけど応援してくださっている方々の心に何かを残せたとしたら…本当に幸せです。
皆さん、ありがとうございました!!!
そして息子にも。
5歳の頃から10年、本当に頑張ってきたな。
俺はもう大人でどうしても意識が違うから、創士に求めてきた頑張るという内容はとても高いハードルのものだった。
だけど今改めて言いたい、創士は本当によく頑張ってきた。何度も頑張らされてるとか、やらされてるとか、、そういう受け身的な言葉を使ってきたけど、それでだって創士に課して一緒にやってきた内容は普通の子どもでは到底できないほど大変な内容、そして莫大な時間だったと思う。息子ながら大したもんだ!と尊敬に値する。
何かを得るためには何かを犠牲にしないと的な言葉で頑張らせてきて、普通の子どもらしい時間を奪ってしまったこともきっとたくさんある。だけどどんなに疲れた日も、灼熱で倒れそうになる程暑い日も、凍てつき足裏が激痛で凍えるような日も、バロンが虹の橋を渡っていった日すらも、泣き言を言わずにずっと健気についてきてくれたこの年月、本当にありがとうと思うよ。
創士が小さな頃から共に歩いてきた空手道は俺の人生の中で最も濃密で、一生懸命で、光り輝くような…一言でそれを表すなら「幸せな時間」だったとおまえに伝えたい。
創士より3〜4才くらい年上のすごい選手の形を当時見ると、果たしてこんな形を打てるように成長していくのだろうか?と思っていたのに、いつしかそういう選手になっていたな。
その成長を見ててどれほど嬉しく幸せだったか。何度創士の形を見て目頭が熱くなったことか。