これは簡単なことではない。
ここでいうカイロプラクティックとは、脊椎サブラクセーションをアジャストすることのみに特化した純粋なカイロプラクティックである。一般的な整体カイロではない。
カイロプラクティックの本来の目的は神経伝達妨害を起こした脊椎を手によって修正する方向へスラストし、生命体に先天的に備わった能力を身体という物質を通して最大限に発揮させることである。
その結果として病気や症状が回復したり、風邪を引きにくくなったり、骨格構造が変化したり、スポーツのパフォーマンス能力が向上したり、建設的なものの考え方ができるようになったり、集中力が増したりと、様々な反応が起きる。生命とはとにかく可能性を秘めているものなのである。
こう聞けばカイロプラクティックは素晴らしいものだと思うだろう。しかしその可能性の広さ故に、カイロプラクティックは理解し難いものにもなる。
たとえば、病気や症状の回復を望むのなら病院や治療院を人は求めるし、骨格構造をいじって欲しいのなら整体やそのようなカイロを求めるし、パフォーマンスの向上を望むのなら監督やアスレチックトレーナーの指示を仰ぐし、ポジティブ思考になりたいのなら自己啓発系の本を読んだりセミナーに出たりする。つまりそれに特化した専門家の元へ人は赴くものである。
カイロプラクターは脊椎サブラクセーションを特定し、それをアジャストする専門家である。一般の人からしたら分かりにくいことこの上ない。
僕はカイロプラクティックに携わって14年、開業して6年近く経てば、まだまだ新参者ではあるが時にカイロプラクティックで生きていきたい学生だったり、同業の先生が訪れたりすることもある。
以前の僕は『カイロプラクティックはこういうものだから、それを実践していくのがカイロプラクターでしょう』と、熱くそして冷酷にそれを説いてきた。しかし最近はそういう思いを抱きつつも、果たして安易にカイロプラクティックの炎を灯していいものか・・・と迷う自分もいる。カイロプラクティックだけで生きていけるようになるのはそれだけ大変なことだからだ。
人生は有限である。そしてその年齢でしかできない生理的なこともある。そして光陰矢の如しという言葉があるように、時とは驚くほどあっという間に流れていく。人は生きていかなければならないし、ある人は子供を持ち、家族を養いたいと思う人もいる。それには当たり前だがお金が必要なわけだ。それがなければそういった一般的なことが実現できないのが現実社会である。
実際にカイロプラクティックに魅入り過ぎ、しかしそれでは生きていけずに壊れてしまった者だって沢山いるだろう。
人は支払う対価に見合う価値を感じなければ二度と利用しない。カイロプラクティックも然り。当たり前に現実は厳しいものだが、そんな僕の心配など杞憂に終わらせてくれるほどの根性と忍耐力と実力を兼ね備えた、真のカイロプラクターが一人でも増えることを期待しようと思う。
それは、カイロプラクティックはそれだけ人類に貢献できる素晴らしいものだからだ。
カイロプラクティックという名称だけが残って本質が失われては・・・途方もない大きな損失である。
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カイロプラクティックとは頭痛・腰痛などだけではない様々なお身体の不調を、根本から健康へと導く自然療法

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