そして父になる | 豊島区『大塚・池袋』のカイロプラクティック

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カイロプラクティックとは、自然の法則に基づいた哲学、科学、芸術である。それは、手のみによるアジャストメントという方式で、dis-easeの原因となる椎骨の変位を正すことである。

小説を読み、更に映画も観てみました。

去年の映画で福山雅治さんが主演されたので、観てはいなくとも記憶にある方は多いのではないでしょうか?

6歳になった息子はなんと新生児の時に病院内で取り違えがあり、実は血を分けた息子ではなかった・・・という衝撃の事実が発覚するわけですが。。

うーん、僕も今年4歳になる長男を育てる父親としてこれもまた考えさせられてしまいました。事情を理解できぬまま親から離されるまだ幼い子どもの心情を思うと、こっちまで苦しくなってたまりませんでした。自分に近い境遇の小説や映画は感情移入しやすく、それこそ他人事でないレベルで考えてしまいます。

自分がこの立場だったらどうする!?となるわけです。正直に言えばこの前ブログに書いたジャイアンのように、子どもはものではありませんが【お前のものは俺のもの、俺のものも俺のもの】といった具合に、強烈に両方とも引き取りたい衝動に襲われるでしょう。しかし普通の親であれば子どもには愛情を持っていますからそんなジャイアニズムを押し通せるわけもありません。それに自分がそれを望んでも子どもがそれを望むわけがありません。どうしたって6年間も一緒にいて育ててくれた人がパパとママでしょう。

病院を怨むでしょうが怨んだところで解決もせず。。

血を取るか、時間と思い出という絆を取るか、、、とりあえず断言できるのは同じ立場に置き換えて考えると、僕は息子を交換することはできませんね(/ _ ; )嘘か本当か知りませんが、こういったケースの場合ほぼ100%子どもは交換することになるとありましたが、『嘘だろ!?』と僕的には信じられませんでした。世の中には『そうだろうなぁ』と思う方もいるでしょうから、どちらが正しいとは言い切れませんが・・・幼い今は良くても、大人になった時のことを考えるとそうすべきという考えなのかもしれませんし。

ただ、人並みの暮らし(極貧ではないという意味)と本物の愛情で真っ直ぐ育ったとするならば、やっぱり血より絆なのかなと僕は思います。『生みの親より育ての親』という言葉もあることですし。。でも一生ある種の苦しみや悲しみはつきまとうでしょうね。

あぁ、故意にでも行わなければ赤ちゃんの取り違えなどまず起きない(起こさせない)時代に子どもを授かり感謝です。

当たり前の日々にこそ感謝しなければならないと思いますm(_ _)m

なんか結論を濁した終わり方にもっていってしまいましたが、考えさせられる小説&映画だったということです。

皆さんはどう思うのでしょうか?



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