西洋医療、薬、マッサージ・鍼灸・整体・カイロ・整骨などなど様々な西洋医療以外の治療・・・これらを長年真面目に受け続けてきているにも関わらず健康からは程遠い人が驚くほどたくさん存在する。多くの病気の既往歴、それらの後遺症も含めて今も抱えている症状の数々。。
うちは巷に存在するカイロプラクティックとは違い、治療(対症療法)としてそれを行っていない。自然療法、原因療法としてカイロプラクティックを行っている。だからか、お越しになる患者さんは最初に述べたような人がとても多い。
まず気づいてもらいたい。
今までいろいろな治療を受けてきて健康になったのかと。
残念ながらなっていないから今も苦しんでいるのである。だからこそうちでは他と同じように症状や病気を対象としての治療は行わない。対症療法は患者さんも散々経験してきているわけで同じことをしても意味がない。
カイロプラクティックは本来、健康を損なう原因、そして健康を回復するための原因を求め、それを体の外にではなく内に見出したものだ。私達を生かしている根源的な力をカイロプラクターはイネイトと呼ぶ。自然治癒力、生命力、ホメオスタシス、、呼び方はなんでもいい。
カイロプラクターが行う脊椎へのアジャストは本来この力を発揮させるためのものである。あれやこれやと学んできた医学知識を総動員し、人為的な手段を用いて病気と症状を治療するのではなく、誰もが先天的に備えている内部の力に治療を任せるという自然の摂理に適ったものである。
私達は自らに善かれと思ってやっていることが、自然の一部である体にとっては不自然な行為で逆効果になっている場合もある。だからこそカイロプラクターは介入し過ぎることを控え、その人の体のことを一番わかっている内部の力に治療を託す。それは体にとっての不自然を排し、自然な状態へ還っていくことに繋がり、その過程で再建現象(好転反応)が起こる。
アジャスト後の再建現象の内容は人によって様々だが、薬や何種類もの対症療法など様々なことを今まで体にやってきた人ほど辛いと感じる反応が出る可能性がこれまでの経験からすると高い。そうした場合は、辛いと嘆くばかりでなく、いかに今まで体に善かれと思ってやってきたことが必ずしも良いことではなく、不自然な行為だったのか、負担をかけていたのかと振り返ってみてもらいたい。真の意味で体にいいことをやってきていたのならもっと健康だったはずだ。
辛いと感じる反応が起きた場合、本当に今よりも健康になりたいと望むのなら厳しいようだが耐えて受け止めるしかない。なぜならそれは回復に必要な反応だからだ。そこでやめてしまっては今までと何も変わらない毎日がまた続いていくことになる。
価値のあるものは、それが価値があればあるほど楽して手に入るはずがなく、健康も例外ではない。私達は機械ではないのだから部品交換して修理完了!などといくわけがない。生きている細胞で構成されている私達の体が健康な状態に還るまでには時間の経過がどうしても必要となる。
だからこそカイロプラクティック(自然療法)を行うということは、カイロプラクターにも患者さんにも忍耐力が必要となる。
継続は力なり
ローマは一日にして成らず
ハッキリ言って我慢や忍耐という犠牲なくしては健康はおろか何も達成されない。カイロプラクティックをきっかけとして体の内から自らの力で健康を回復させよう、その場しのぎの安楽ではなく未来に希望と目標を見出そう、こういう意志のある人に、そしてこういう建設的な考え方ができる可能性を秘めている人にこそカイロプラクティックは最良のパートナーになることができる。
つまるところ自然療法としてのカイロプラクティックを選ぶということは、自分自身と向き合うことを選ぶということに他ならないのだから。
僕のカイロプラクターとしての存在意義は、治療してもらえばいい、その場だけでも楽になればいいと依存している人達に本当の意味での健康を真剣に考えてもらうために熱意を持って諭すこと。既存の常識とは異なる健康観を伝え理解してもらうことはとてつもなく困難だがカイロプラクティックの看板を掲げる以上はやらなければならない。カイロプラクティックは受け手にある意味『覚悟』を要求する。それならばカイロプラクター自身も覚悟をもって日々臨むのは当然のこと。
そして最終的な存在意義は、そんな本気の人にこそ本気で向き合い、全身全霊でカイロプラクティックを提供することだ。
薬や対症療法が悪いと言っているのではない。それらで治る人達はそれでいいし素晴らしいことだ。
しかしそれでは健康回復に至らない人が大勢いる。そんな人達のためにカイロプラクターとしての自分が在るのだ。
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