カイロプラクティック | 豊島区『大塚・池袋』のカイロプラクティック

豊島区『大塚・池袋』のカイロプラクティック

カイロプラクティックとは、自然の法則に基づいた哲学、科学、芸術である。それは、手のみによるアジャストメントという方式で、dis-easeの原因となる椎骨の変位を正すことである。

このブログは書くべきか、書かないべきか迷った。しかし僕がこれからの人生をカイロプラクターとして歩いていく上で、今回のことは一つの節目になるであろう重要な変化であったため、後に振り返った時に大切な記録になると思い、残しておくことにした。

まず僕のHPやブログの題名から『ストレート』の文字が徐々に消えていき、昨日をもって完全に消えたということだ。しかし臨床のスタイルは何も変わっていない。『脊椎サブラクセーションを手によってアジャストし、後のことはイネイトに委ねる。』これはカイロプラクティックの看板を掲げ自らをカイロプラクターと称する以上は、カイロプラクティックに真剣に向き合った者として未来永劫変わるべくもない絶対のルールであり、信念であり、そこを変える気も、そして変える必要性も感じていない。

「ではどうしてストレートカイロプラクターと名乗らないのだろう?」と、極少数のストレートカイロプラクター以外は疑問に思うだろう。

『ストレートカイロプラクティック』
これはカイロプラクティックの本質に深く目を向けて行くと『症状の治療ではなくサブラクセーションのアジャストのみに徹してイネイトに任せる』だけではストレートと自らを称することに違和感が生じてくる。

もちろん「アジャストだけに徹していればそれはストレートだ!」という様に、違和感など感じないカイロプラクターもいるだろうし、それが間違ったことだとも思わない。しかし僕の違和感は時間の経過と共に大きくなっていったのだ。

何故か?それは「目的の違い」と「大切なものの優先順位」から生じる違和感なのだ。

今の時点で僕なりに到達している解釈では、ストレートカイロプラクティックの目的とは『クライアントのイネイトの表現妨害であるサブラクセーションを、手によってスラストというきっかけを与えクライアント自身のイネイトにサブラクセーションをアジャストメントさせる』そこに尽きる。イネイトを最大限に表現させる。これが唯一かつ明確な目的であるため、訪れたクライアントの症状や病気といった状態などをカウンセリングする必要は当然生じない。先天的知能は後天的な知識とは異なり、究極の境地に達すればそこに「言葉」は必要ないのかもしれない。イネイトとは無意識下のものだから。
そしてストレートカイロプラクターにとって最優先に大切なものは『カイロプラクティックそのもの』なのだ。

では僕の場合はどうだろうか?僕の目的は『自然治癒を困難にしている一つの要因であるサブラクセーションを手によってアジャストし、イネイトを最大限に活性化させ、患者さんの苦しんでいる様々な症状や病気を患者さん自身のイネイトによって内から治させるように手助けする』ことだ。そして僕の最優先に大切なことは『患者さんが健康を取り戻すこと』なのだ。

これはどちらに優劣があるわけではなく、個人の価値観によって目的も優先順位も違ってくるのは当然なことだ。ストレートカイロプラクターの、カイロプラクティックを愛する純粋な部分は素晴らしいことで尊敬に値する。
そして僕はというと、カイロプラクティックを病気や症状に苦しんでいる人や、健康に重きを置く方達の為に使いたい。これも間違ったことだとは思わない。しかしカイロプラクティック哲学を極限に突き詰めた者が到達する純粋なストレートの境地とは違うものだと思っている。

カイロプラクティックは本来真っ白なもの。そしてミキサーは真っ黒いもの。これは白黒に優劣があるのではない。ストレートカイロプラクターは白、もしくは限りなく白に違いグレーな存在。そして僕は限りなく黒に近いグレーな存在なのだと思うし、そして僕は「そう在りたい」のだ。

カイロプラクティックを学ぶ動機は人それぞれであるが、僕は親の病気がきっかけであり、苦しんでいる人達に健康を取り戻してもらいたかった。

今まで己をストレートと称し、この業界に感じる憤りやカイロプラクティックとは?ということをブログでもずっと訴え続けてきた。しかし今読み返してみると、そこにはカイロプラクティックのためというだけでなく、いや、それ以上に自分の根本にあった「患者さんため」という想いがまざまざと文章に表れている。

カイロプラクティックの本質に近づけば近づくほど自分の中で大きくなっていった違和感はそうゆうことだったのだと最近ハッキリ自覚した。

僕は自分に嘘をつく事が嫌いで正直なタイプの人間だと思う。かっこよく表現したが、ようは自分が望んだことしかやらない、したくないというだけの事なのだが…

自らに不自然さを感じていては何も達成できない。自らが自分らしく自然であるからこそ、そこに魅力と力が生まれるのだと思っている。

だからこそ僕はストレートと自らを称することをやめ、純粋に「カイロプラクター」としてこれからは自分の道を歩もうと思っている。しかしカイロプラクティックの看板を掲げ、カイロプラクターと安易に誰も彼もが名乗っているがそれだって非常に重いものなのだ。

開業して以来、ずっとカイロプラクティックが整体やマッサージと同じように認知されていることに憤りを感じてきた。カイロプラクティックはカイロプラクティックのままで十分過ぎるほど人の健康に貢献できる価値あるものだ。いや、むしろ僕は「治療してあげることより、脊椎のサブラクセーションをアジャストするだけで身体が良くなっていくという体験を通して、身体を治すのは自らの自然治癒力ということを自覚してもらうこと」に価値を見出して今までやってきた。

ストレートカイロプラクターほどカイロプラクティックに対しての強い愛は僕にはないが、それでもカイロプラクティックに真剣に向き合ってきた。だからこれからも自然療法であるカイロプラクティックの看板を掲げ、カイロプラクターを称する以上忘れてはならないルール(脊椎サブラクセーションを手によってアジャストし、イネイトに委ねる)に則り、カイロプラクティックの独自性と価値を発信・啓蒙していくつもりだ。

これからも僕は一人でも多く、様々な苦しみに悩まれている方々のためにカイロプラクターとしてカイロプラクティックを用いて向き合っていく。それが自分の為すべきことなのだと今は心からそう思っている。

誰かに認められたいのではない。僕は自らに正直に、そして自分らしさを忘れずに、自らが選んだ道を『カイロプラクター』として歩いていく!



このブログの最後に。
僕はミキサーからストレートへ変わる時、立場は違うというのにそれを理解し受け入れてくれた尊敬すべき先輩(同期ではあるけど)と恩師がいた。
今回もストレートカイロプラクターからカイロプラクターに変わるにあたって、理解を示してくれた先輩がいた。しょっちゅう会うわけでもないのに僕の悩みや心境を常に絶妙なタイミングで正確に悟り、自ら声をかけ相談に乗ってくれ向き合ってくれた『最高のストレートカイロプラクター』嶋田慶三郎D.C.に感謝の意を表します。





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