さて、前回はほとんど「自然研究所」について詳細を述べることが出来なかったが、ようやく詳しく紹介できることになった。
自らをカイロプラクターではなく、自然研究家(Nature Artist)と名乗る彼は私の大学の後輩にあたる存在だ。しかし先日大学を退学したのだ。
在学中からいろいろと微力ながら相談に乗っていたが、彼のこれから追求していく道を考えた場合、賛否両論はあるだろうがそれでいいと思った。
彼は大学卒業まであと1年4ヶ月のところまで来て「退学」という選択をしたのだからそれは並大抵の覚悟ではない。彼の長所であり(時には短所ともいえる!?)不器用なほどの愚直さがそういった選択をさせたのだろう。
彼は日本に存在する国際基準のカイロプラクティック教育機関で学生生活を送り円満に卒業するためには、カイロプラクティックの本質に気づくのが早すぎたのかもしれない。
「は?どういうこと??」と思われる方もいるかもしれないが言葉通りの意味だ。私の場合はカイロプラクティックの本質に気づき、それを実践していくと覚悟を決めたのは卒業まであと半年といったところだったろうか・・・。なんといってもミキサーだった時代が長いのだから、ストレートへの転換には時間がかかった。だから多少の居心地の悪さを時折感じることがあったとしても仲の良い同期もいれば、尊敬できる同期もいたし、カイロプラクティックの本質について語れるクリニシャンもいたし、卒業までにやらなければならないことのほとんどは終わっていたので、今考えれば自分的にはそこそこ円満に卒業できたのではないかと思う。
しかしカイロプラクティックの本質に気づき卒業まで2年残っていたと考えるとどうだろう・・・。彼の感じてきた様々な苦悩は私の想像を超えるだろう。
過去のblogの中でも幾度も訴えてきたことなのだが、カイロプラクティック教育機関でカイロプラクティックに真剣に向き合おうとする学生が自身の学んでいる教育機関に失望し、肩身の狭い想いをし、自分に嘘をつき続けなければならないとはどういうことか?
カイロプラクティックにはミキサーの割合が多いがストレートもスペシフィックもあり、別にどれが間違っているわけではないのだから教育機関ならば広い視野と器を持って学生を見守ることはできないのか?ある程度学校の方針はあるにせよ、学生は最初はそんな内部事情はよくわからず純粋にカイロプラクティックを学びに入学してきたはずだ。ならば選択したものが学校の方針に沿わなくともそれがカイロプラクティックである以上、学校がその学生を卒業後も食わしていくわけではないのだから、学びたいことを容認してあげなくてはならないのではないか?
学生時代というのは長いようで、自分のやっていきたい道を真剣に追求していく者にとっては短いものだ。それに向き合わなくてはならないのだから学生時代の時間を有効に利用させてやって欲しい。
とまぁ、そんな感じでまずは日本唯一のCCEに認可されたカイロプラクティック教育機関に対する個人的な思いを書かせていただいた。それは唯一だからこそだ。
しかしそんな逆境だったからこそ彼は余計にカイロプラクティックの本質にひたむきに向き合えたのかもしれない。カイロプラクティックの本質は森羅万象の根源・法則にあると思う。「なにがそうさせているのか?」だ。
それは自然の力に他ならない。彼はその自然の力に魅了されカイロプラクティックという言葉の枠から脱した。だからこそ自らを自然研究家と名乗り、その実践の場を「○○カイロプラクティック」という名称ではなくNature Art Studio/自然研究所@茅ヶ崎と名付けたのだろう。
彼は自然を実践することの方法論としてカイロプラクティックのターグルリコイルテクニックを選んだというわけであって、彼はカイロプラクティックという言葉やカイロプラクティックの学位より我々の誰しもに内在する先天的知能を重要視したのだ。
ストレートもしくはスペシフィックカイロプラクターは、先天的知能の人智(後天的知能)を超えた法則と可能性に魅了されているからこそ、それを選択し実践しているのだと思う。
彼は自らをカイロプラクターと名乗らないが、巷でカイロプラクターを名乗っている多くの方々よりも、D.C.や国際基準の学位を持っている方々よりもよっぽど私からしたらカイロプラクティック的だ。
彼は今「退学」を経て新たに学ぶ場も見つけたようで本当に自然に生き生きとしている。
林先生のこれからの歩みに期待したい。
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