ストレートカイロプラクターとして私が行うこと。
①カイロプラクティック的な健康観(Chiropractic Philosophy)を通して、自らに備わっている無限の可能性に気づいてもらうこと
②脊椎の変位による神経伝達妨害(サブラクセーション)の検査
③特定したサブラクセーションへのスラスト
④イネイトによるアジャスト(診断と治療)を達成させるためにしばし休息
⑤再検査しスラスト後に起きた身体の変化を②と比べる
非常にシンプル。だからこそ難しい。(①なんかは常に日常生活の中でも考えていなくては、とても西洋医学の常識を一般常識として考えている方々の心に響くような説明はできません。)
カイロプラクティックはなるべく自然に任せる。しかしそうは言っても②、③は後天的な知能を活用し人為的な介入をすることになる。
ストレートカイロプラクターはスラストを放つ瞬間にはいかなる精神状態であるべきなのか・・・
「イネイトに響け!」
「サブラクセーションを取り除いてみせる!」
「内なる叡智よ目覚めろ!」
そういった熱意のこもったスラストもいいが、理想では無心の最中(さなか)相手のイネイトと同調したと思われる瞬間、自然に身体が動き気づけばスラストが終了しているような域に達したい。
スラストも人間が行う行為であるから自分的に「よし!」と思うときもあれば「う~ん・・・」と思うときもある。これは美容師であれ外科医であれ料理人であれ技術職ならば共通することだと思う。
しかしカイロプラクティックの場合、自分で判断するスラストの良し悪しはあまり結果との因果関係がない気がする。一体何がアジャストメントに結びつくスラストを成功させ得るのか・・・技術的なものか、精神的な状態によるのか、タイミングによるのか、患者さん自身のこちらに寄せる信頼度に左右されるのか、はたまたこれら全てが絡み合うのか・・・この道に終わりはない。
しかし更に突き詰めて考えていくと歪んだ骨格だろうが症状を訴えている身体だろうが、それはそれなりに自らを表現しているのだ。
サブラクセーションをアジャストできれば基本的に健康に向かうと思われるし、実際やっていてほとんどの患者さんは治癒していく時間に差はあれどもちゃんと良くなっていく。しかし必ずしも望んだ結果が出るわけでもない。しかしそれでもカイロプラクターが行うスラストが間違っていたとは云えないのである。
それはくどいようだがカイロプラクティックは症状の治療ではないからだ。カイロプラクターのスラストによって先天的知能(自分の意志とは無関係な生まれ持った身体の機能。同化・異化・再生・適応・成長など)が物質である肉体を通して表現できる状態になればdis-ease(健康の欠けた状態)は自然の法則により消失していく。
しかしその箇所や優先順位などはすべて先天的知能が判断する。身体には自覚している症状もあれば、自覚していない病的な箇所もあるわけだ。だからたとえば「どのくらいで○○が治りますか?」などと訪ねられてもカイロプラクターからしたら「わかりません。」と答えるしかない。しかしそれでも上記の理由からカイロプラクターがサブラクセーションに行うスラストは身体に有益なのだ。
今日は特に何をblogに書こうと思ったわけでなく、「とりあえず何か書いてみるか!」と思って書き始めたために、かなり支離滅裂な文章で、何を言いたいのかもわからなくなっていますが、患者さんは自己治癒力を備えた自然の一部なのだと思って接していると、こんな風に日々いろいろ考えさせられます。
シンプル・・・だからこそ難しく奥が深い職業だと思います。