以前にもBlogで紹介したことがあるがカイロプラクティックには創始者がいて、「カイロプラクティックとは自然を対象とした哲学・科学・芸術であり、Dis-ease(前病気状態、未調整、正常でない状態などの意味)の原因となる脊椎の変位を手のみによってアジャストメントするシステムである。」という明確な定義を残している。
例えば私が「~療法」というような独自の療法を作り「~療法は、~である。」と定義したとする。それで誰かがこの療法を用いたいというならば、それを学び、改良するにしてもその定義に基づいたもので行っていただく必要がある。そうでなければ「~療法」以外の名称を使用していただければ何の問題もいざこざも起きない。それを第三者が全く違う定義を創り、当初の目的とは違ったことを行っているにも関わらず「~療法」と言い出せば「ちょっと待て!」と当然いざこざが生じる。
前々回のBlogで日本のカイロ国際基準校を卒業した人の中でストレートが誕生しなかったと書いたが、あらためて「それは何故か?」と考えてみるとまず、この創始者の定義についてまったく教えられない。むしろカイロプラクティックの定義は「カイロプラクティックとは筋骨格系の機能構造的な障害と、それが及ぼす神経系の機能異常、ひいては健康全般の影響を診断、治療、予防する専門職で、脊椎マニュピレーションを主とした徒手治療をその特徴とする。」というよ、たしかWFC(世界カイロプラクティック連合)の定義を学ばされる。
創始者のD.D.パーマーは「カイロプラクターは病気を取り扱い、治療したり、または診断しない。カイロプラクティックの科学としてのそれは、他のいかなる方法とも異なったものであり、それはすなわち他のいかなるものとも併用されるものではない。カイロプラクターはオステオパスや医師が病気という結果を取り扱い治療するという意味においては、カイロプラクターはそれはしない。」とも言っているのだが上記のWFCだかなんかの定義を見るとまったく違うものになってしまっている。しかしこの定義をカイロプラクティックと学ぶわけである。そう考えてみるとほとんどの学生は大学で教育されたカイロプラクティックをしっかりと行っていることになる。
そういうわけでストレートカイロプラクターが誕生しないのは当たり前なのかもしれないと自分で考えて頷いてしまった。
そしてカイロプラクティックを突き詰めて発展させたB.J.についてははっきり言って「悪役」のごとく紹介されるといっても過言ではない。そういうわけでストレートカイロプラクターや、それを目指す学生に対する大学の反応は冷ややかなものになる。私はB.J.の信者でもないし、彼の言ったことすべて100%正しいなどとも思っていない。しかしカイロプラクティックの究極の追及者として尊敬している。彼が創始者のカイロプラクティックの定義にもっとも誠実に向き合い、体現したカイロプラクターであることに間違いはないと思っている。カイロプラクティックの本質に本気で向き合った方ならばおそらく同じような意見になるのではないか?
カイロプラクティックは筋骨格系を専門に対象としているわけでも、その専門家でもない。カイロプラクティックは自然を対象としている。このBlogを読んで本来のカイロプラクティックに興味が湧けば、まず巣鴨で開業されている上部頚椎専門カイロプラクターのK先生の書かれた本を色眼鏡をかけずに何度も熟読してみてほしい。販売されている本以外にも探せばいろいろ出てくる。もちろん個人的な意見なので他の本を薦める先生もいるだろうが、私の場合これが一番理解でき、カイロプラクティックの本質と目的、そして尊さを学ぶことができたのでお薦めする。
