彼女から「最近会社はどう?」と尋ねられるがままに、つらつらと私が話していた話を、
彼女は「悩み事の相談」と受け止め、彼女が良かれと思う「忠告」をくれていたのだ、ということ。
そして、その「忠告」を私がそれと気づかないまま聞き流し、彼女がそれに虚しさを覚え、疲れ、腹を立てていたこと。
それを一気に知ることとなった私は呆然としました。
そして彼女のメールを読み進めると、更に衝撃的な言葉が書かれていました。
「要するにあなたは、自分のことしか考えていないのでしょう?子供の心配をしていると言いながら、会社を辞めないのは、子供のこたなんかどうでもいいのでしょう?銀座の占い師のところなんかに行っている暇があるのなら、その時間子供の側にいてやりなさいよ。」
えー。
これも解説が必要ですね。
会社から冷遇されながら働いている間に、長男が小学校に入学すると同時に発達障害の疑いが出て来て、療育に通いながらの仕事との両立などが一層大変になっていた時期がありました。
そんな時にママ友から「銀座の占い師」を紹介されて、
息子のことをどうしたらよいか途方に暮れていた私は、藁をも掴む気持ちで出掛けたのです。
人生初の占い師訪問でしたが、
結果息子の個性について明るい展望をもらい、勇気づけられたのを覚えています。
その話を彼女にもしていたのです。
話した時は彼女は「へー」と聞いてくれていたと思いますが、内心はそんな風に思っていたのですね。
彼女の返信のすべてを読み終えた私は、大変な驚きの中にいました。
彼女はそんな風に思っていたんだ?
子供のことがどうでもいいなら悩んだりしない。
でも彼女はそんな風に思っていたんだ?
驚きとしか表現できない気持ちがしばらく続きました。
やがて考えた後に、彼女に返信をしました。
だいたいこんなことを書いたと思います。
「あなたが私が楽になるようにと忠告をしてくれていたことに気づかなかったこと、それは私にそもそも相談しているとう意識が薄かったこたこと、けれど話を熱心に聞いてくれることに甘えていたたにた気づいたこと、疲れさせてしまったことを申し訳なく思っていること。」
そして
「今は私と会う気持ちにはなれないと思うけれど、いつかまた会ってもいいなと思う日が来たら、連絡をほしいこと」
を書き添えました。
18歳の時からの友人で、当時、人生の中で一番大切な友達だと思っていた人。
だから、またいつか、会える日が来るなら会いたいと思ったのです。
しかし、返信を送り終わると同時に私は、自分の心に不思議な感覚を抱いていました。
なぜ私の心には、一言の弁解も、言い訳もしたいという気持ちが湧いてこないのだろう?
子供なんかどうでもいいなんて思ってないよ!
ただ私にとって働くことは、子育てと並んで大事なことなんだ。
だから何とか両立させたい。
と、
彼女の誤解を解いて、分かってもらいたいという気持ちが、不気味なほどに一切湧かないことが不思議でなりませんでした。