こんにちは、心理療法家&講師のふるたてひろこです。
2018年も残すところ10日、本当に飛ぶように月日が流れてゆきます。
今年我が家には二人の受験生がいますが、センター試験まてもあとは1ヶ月を切りました。
各自精一杯力を出せたらいいな、と願います。
さて、今日は特に心理のお話ではありません。私の、とある思い出話です。
この季節が来る度に思い出す記憶、それは、私自身のの高校合格発表の日のことです。
第一志望の都立高校の合格発表を見るために、その日私は一人でその高校に向かいました。
確実に合格圏内という予想どおり、私の受験番号を合格者発表の掲示板に見つけました。
ほっと安堵の気持ちを感じながら、巣鴨駅までの道すがら、公衆電話を見つけて家に電話をかけました。
「もしもし、私。受かったよ。」
私が報告すると母が答えました。
「おめでとう。良かったね。」
うん。
「あ、あのね・・・」
母が何かを続けようとしました。
その母の声に、何だか翳りを感じた私は、言葉の続きを待ちました。
「ピーちゃん、死んだよ。」
・・・
私は言葉を失いました。
ピーちゃんというのは、桜文鳥の名前です。
私の家では、私が小さい頃からわりと常に小鳥がいました。
雛から飼うと人になつく手乗り文鳥が多く、中でも黒白グレーのコントラストが美しい桜文鳥が一番多かったです。
文鳥の寿命は大体8年程なので、何羽かの文鳥が我が家にはやって来たのですが、ピーちゃんはこの時点でかなりの老齢でした。
よく犬や猫は家族の中で誰かひとりをご主人様として認識すると聞きますが、私の感覚では文鳥も、家族の中で誰になつくのかはそれぞれにあったような気がします。
ピーちゃんは、私に特別になつき、毎日私の手や肩に乗って遊んでいました。
ピーちゃんの一番のお気に入りの場所は、私の左肩の上で、セミロングの私の髪の陰で、私の首に身を寄せて佇むのが大好きなようでした。
そのピーちゃんが死んだ。
という母の言葉に私は茫然となったのです。
確かにその冬、ピーちゃんはだいぶ元気がなくなっていました。
カゴの外に出る時間が減り、カゴの中でも動きが少なくなりっていました。
止まり木の上段には止まらなくなり、下段にじっとしている時間が長くなっていることに、私は気づいていたと思います。
「だいぶ長生きだからね」
その様子に、母がそんな言葉を発する度に、私はその言葉の先を振り払うかのように考えないことにしていました。
「ピーちゃん、死んだよ。あんた、見るの辛いだろうから、お墓作って入れておくからね。」
受話器の向こうで、母がそう続けました。
うん。
とだけ答えて私は電話を切り、
そして中学校へ向かいました。
合格発表の結果を報告するために、学校に戻ることになっていたからです。
巣鴨駅から池袋駅までの二駅の間、私は何を考え、どんな顔をして、どんな様子で山手線に乗っていたのか?
実はあまり覚えていません。
ただ記憶にあるのは、中学校の門をくぐり、職員室の戸を開けて担任の先生の顔を見た瞬間に、先生が言ったこと。
「わかった、○○(私の旧姓)。わかったから、言わなくていい。お前はよく頑張った。残念だったが、よく頑張ったぞ。」
私は言いました。
「いえ、先生。○○高校合格しました。」
「え!?受かったの!?」
「はい。受かりました。」
「じゃあお前はどうして泣いてるんだ?」
「小鳥が死んだんです。」
あのときの先生のびっくりした顔は、よく覚えています。
ピーちゃん、もう老齢できっとしんどかったんたろうな。
元気なかったもんな。
だけど私の受験が終わるの待っててくれたのかな。
受験前に死んだりしたら私がボロボロヨレヨレになるから、踏ん張ってくれたのかな。
それで第一志望校の合格発表の後だったら、悲しくても立ち直れるよね、って今日だったんだろうか?
そんなことをぐるぐると考えながら、帰路につきました。
帰るとピーちゃんの姿はありませんでした。
花壇の隅にお墓が作られていました。
これが私の高校合格発表の日の思い出です。
ピーちゃんの最期には立ち会えなかったけれど、私の心の中には、あれからずっとピーちゃんがいます。
中学校の先生を困惑・仰天させた思い出も、胸がつぶれそうに悲しかった合格発表の帰り道の思い出も、全部が私とピーちゃんの温かく幸せな思い出の一部なのです。
ピーちゃんの思いやり、
毎年この季節が巡るたびに蘇る私の宝物です。
ピーちゃん、ありがとう。
今日も最後までお読みくださってありがとうございました。

