しあわせはいつも | 囚われの人生からの脱出!もっと自由に生きる心理学〜命のちから心理セラピー講座〜インナーチャイルドセラピー

囚われの人生からの脱出!もっと自由に生きる心理学〜命のちから心理セラピー講座〜インナーチャイルドセラピー

東京池袋の隠れ家的一軒家セラピールーム。公認心理師常駐。インナーチャイルドカードを使って心と対話をする技術を教える活動を通じて、多くの人が幼少期の体験の影響を無自覚に今も受けていると知りました。。それに気づいてもっと自由に生きられるようサポートしています。

こんにちは、インナーチャイルドセラピスト養成スクールを主宰しています ふるたてひろこ です。

今日は昔話をひとつ。
もう10年近く前のお話しです。

私は5年半前からセラピストをしていますが、その前はフルタイムワークの会社員でした。
3人目の子供が生まれたとき、私はまだ会社勤めをしていました。
産後8か月で職場復帰をしました。

朝8時半に家を出て、保育園に3人の子供を預けて、18時半まで会社で働いて、19時15分の保育園のお迎えに行く。
駅から保育園までの道はいつも走っていました。
保育園を出て、3人の子供たちと家路に。
帰ったらご飯を食べて、お風呂に入って、遅くても10時には寝かせる。
毎日、毎日、この繰り返し。

全部がいっぱいいっぱいだったけど、末息子誕生からこの頃にかけて私が一番困っていたのがお風呂タイム。
当時長男は5歳、娘は2歳、末の息子が0歳。
この3人の子をどうやってお風呂に入れるか?
それが私の最大の悩みだったのです。

そうい言うと、ピンと来ない方も多いかもしれないと思います。
「お風呂なんて、ただ順番に入れればいいだけじゃない。」
そんな声も聞こえてきそうです。

けれど当時、5歳の長男も、誰もいない室内でひとりで待つ、ということが出来ませんでした。
つまり、長男を待たせて、下のふたりと私がお風呂に入る、ということは出来なかった。
必然的に、3人を連れて一斉に、お風呂に入る、という選択になります。

マンションの決して広いとは言い難い浴室に、4人で一緒に入り、それぞれの髪と身体を洗ってあげること。
これがなかなかに骨の折れることで。
末の息子がまだ腰が据わらない月齢のときなどは、抱っこしたまま上の子を洗わなくてはならない・・・・。
自分がゆっくり湯船に漬かることはもちろん、髪や体を洗う事さえ、とりあえず全部諦めて(子供が寝た後に入りなおせばいい)も、それでもどうにもしようがない、そんな状態でした。

誰かひとり、私と下のふたりがお風呂に入っているほんの10分間、長男の相手をしてくれる大人がいればそれで済むことなのに。
当時夫の帰りは連日午前様。
年老いた親は夜出かけるのは身体に堪えるという・・・。

もう、これっていったい私にどうしろと???
と真剣に思い悩んでいた時、ひとりの救世主が現れました。

見るに見かねた私の母の連れ合いのおじいちゃまが、
自分の朝の体操仲間のご婦人に私の話をしたところ、
お風呂タイムだけお手伝いに行ってもいいですよ、と言ってくれたというのです。

というわけで、まったく面識のなかったこのおばさま(以降Sさん)が
週に3回、夜8時からの1時間だけ我が家にお手伝いにきてくれることになりました。

私は本当に感謝しました。
夜8時と言えば、一般的に主婦はいちばん家を空けにくい時間帯。
その時間に、わずかな時給で見ず知らずに他人のために、週3回も来てくれるという。
なんて奇特な人がいるものか、と。

余程子供好きとか?
と一瞬思いましたが、おじいちゃま経由で聞けば、「そんなに子供は好きなわけではない」とのこと。
けれど、Sさんにも3人の子供さんがいて、もう成人しているけれど、育て上げるまでそれはそれは大変だった。私の話をおじいちゃまから聞いたとき、なんだか他人事とは思えなかった、と。
だから、自分に出来ることがあるなら、お手伝いしますよ、と、そう言ってきてくださることになりました。

Sさんに来てもらえる週3回、私にとって、泣きたくなるような地獄のお風呂タイムが、激変しました。
私が子供をひとりずつお風呂に入れている間、Sさんは部屋で子供の話し相手になったり、遊んだししてくれました。
子供たちもすぐにSさんを好きになり、Sさんと会えるのを楽しみにするように。
Sさんは時折「たくさん作ったから」と夕飯のおかずを持ってきてくれました。
「美味しい!」と言うと、レシピを紙に書いて持ってきてくれたり。
そして何より、私の話を聞いてくれました。

育休明けで会社に復帰したとき、降格・減俸という痛手をこうむっていた私の話(今思えば愚痴・笑)や、子育ての話を、アドバイスすらせず、ただただ聞いてくれました。
何を言っても、「ひろこさんはよく頑張ってる」と言い続けながら。

今思えば、あの頃私はSさんに支えられていたのだと思います。
何を言っても「十分頑張っている」と認め、肯定してくれる、アドバイスすらせず、私の気持ちにただただ寄り添ってくれるSさんに。

そしてそんなSさんともお別れの時がやって来ます。
最初に来てもらってから1年ほどが過ぎたときでした。
Sさんにお孫さんが誕生することがわかり、忙しくなるのでもう来られなくなる、ということでした。

でもその時には、末息子も1歳を過ぎ、長男も小学生になり、あのひとりではどうしようもなかったお風呂タイムも、もうひとりでも大丈夫、と思えるようになっていました。

私は言いました。
「Sさん、おめでとうございます!今まで本当にありがとうございました。私はもう大丈夫です。あのときSさんがお手伝いに行ってあげると言ってくださったことで、私は本当に救われました。これからの人生まだ長いけど、私はSさんへのご恩を一章忘れないと思います。」

Sさんは安心したように微笑みました。
そしておずおずと差し出した小さな紙袋。
その中には あいだみつおさんの言葉がかかれたハンドタオルが。



「これね、だいぶ前にあいだみつお美術館に言ったときに、ひろこさんにお土産と思って買ったものなの。でもね、なんだかいつも渡しそびれちゃって・・・。どうしても、ずっと渡せなかったんだけど、今のひろこさんを見て、今なら渡せる、と思って。」

そう言ってSさんは私に手渡してくれました。

「しあわせは いつも じぶんのこころがきめる」

私の大好きな言葉です。
でも、もしかしたら、心が弱りすぎているときには、厳しく感じたり、受け取ることが難しい言葉かもしれませんね。

私はあの頃、自分ではそんなに弱っているつもりも、辛そうにしているつもり、愚痴をこぼしているつもりもありませんでした。
ただただ日々の自分の状況や出来事を世間話のように語っているつもりでしたが、Sさんはそこに、語られない何かを感じていたのかもしれません。
職場復帰して、3人の子育てしながら、どっちもちゃんと両立しなくちゃ!と頑張っていたから、弱ってなんかいられない、と思っていたのかもしれない、と今なら思います。

そのときにこのタオルをもらっても、きっと私は別に傷ついたり、不快に思ったりはしなかったと思います。
でも、お土産手に買ったタオルを何か月も渡せなかったSさんの気持ちを知った時、私はそこにSさんの思いやりの気持ちを感じ、そのことに感謝の念を抱かずにはいられませんでした。

Sさんがこの記事を読むことはきっとないと思うのだけれど
私はSさんにこう言いたいのです。

Sさん、あのときあなたに出会えて、確かに私は支えられました。
あなたがその思いやりと優しさを私にくれたから、
私は今、私の周りでそれを必要としている人に思いやりと優しさをあげることが出来るのです。
私は、あなたから、ただ寄り添うことの意味を教えてもらいました。
あなたとの出会いを私は一生忘れません。
本当にありがとう。

今日も最後までおよみくださってありがとうございました。