娘が週末の群馬行きから戻って言った。
「ママ、おばあちゃんがママのこと、『ぽっちゃりしてるけど可愛いね』って言ってたよ。」
え?(゜ロ゜)
そ、それは、ほめられてるのかけなされてるのかよく分からない。
娘続ける。
「それでね、Rちゃん(娘)はママのそういうとこ似たんだね」って。
な、なんてこと!
思春期入り口の娘に「ぽっちゃり」だなんて!
Rはそう言われてどう思ったの?
「嬉しいよ」
え?( ゜o゜)嬉しいの?
ぽっちゃり、だよ?
「だって可愛い、って言われてるんだし。それにぽっちゃりでも可愛いってことは、痩せても当然可愛いわけで、どっちにしても可愛いんだから最強じゃん」
はあ~。なるほど。
私が娘の年頃に同じ言葉をかけられたら落ち込んだと思うな~。
今はそんなことくらいじゃ別に落ち込みはしないけど。
『ぽっちゃりだけど可愛いね』
私はその中から「ぽっちゃり」だけを受け取り、娘は「可愛い」を受け取る。
その違いが、落ち込むか嬉しいと思うかの差を生む。
私たちは誰もが、聞きたいことを、聞きたいように聞いている。
人の言葉の中の、どれを、どのように受け取るのか?は個人の無意識の領域で自動的に選択れている。
そしてそれが、私たちの「現実」となる。
「あのときあの人にこう言われた。」
という記憶は、
私たちにとっては揺るがしがたい現実だったりするわけだけれど、
果たしてそれが発信者の意図と一致していたかどうか?は全くもって怪しい。
ちなみに、別にそれか悪いと言っているわけでは更々ない。
私たちは、そんな風に、
自分が作り出した世界に住んでいるのだと、知っていればそれでいい。