砂漠の中を歩いていると、オアシスが見えることがあるらしい。

気温、光の角度、気象条件などの条件が整った時に、オアシスの蜃気楼が見えるのだと思う。








しかし、そこにはオアシスはなくて、水はない! 水は見えるけど、実際にはない。








同じような意味で、「私」はいるという感じは起こってくるが、








分離した「私」はいない。現実をコントロールする「私」は、現実にはいない。








「個人的自己」という感覚は、思考、感情、身体感覚、条件づけによる、

複雑なシステムである。脳の仕組みの産物である。








困ったことに改善すべき自我、取り除くべき自我が存在すると信じて、

改善、除去に努力すればするほど、幻の「自我」を強めてしまいます。








自分という感じも、思考、感情も、「主体者」がいないところで、

ただ起こっているだけです。 ある意味「蜃気楼」です。









 

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