振り返って、『自然を守るとはどういこうことか』という本が刊行された1988年とはどういう年だったかを考えて見よう。

日本経済は「所得倍増」とか、「日本列島改造」と言った威勢のいい号令を出す活力は既に失っていたが、時の内閣総理大臣は小型角栄と呼ばれた竹下登。2年後には日経平均は38915円87銭という金字塔を打ち立てた後、音を立ててバブルの崩壊が始まるが、まだ日本各地でスキー場やゴルフ場の建設は盛んに行われていた。バブルに踊っていた時代である。林道の建設は盛んに行われていたが、代表的な観光地での遊歩道整備などの管理はまだ完全ではなく、草原の中にどんどん入って行くことも可能だった。それは、クガイソウの生えている場所とオオバコが生えている場所が近接しているという意味で、コヒョウモンモドキにとって有利な条件だったのだろう。このような環境、近くをブルドーザーが走り、草原の中を歩き回る人がいる環境で、コヒョウモンモドキばクガイソウなどの花に群がっていた。白金台に例えれば、まだ自然公園として指定されておらず、不心得者が御料地の木を切って薪にしたり、畑を切り開いたり、好き勝手なことをやっていた時期である。



それに近い環境が回復されれば、コヒョウモンモドキは復活できるであろうが、それを環境省のような弱小官庁に期待するのは酷だ。立札を立てて木道を作り、草原を柵で覆う程度の予算しかないのだろう。彼らはわかっていないのではないと思う。分かっていてもそれを実行する力がないだけだと思う。環境省に多くを期待すべきではない。彼らに種、ましてや環境を守る力はない。半端な規制を作り、絶滅を早める力しかない。


ただ、貧乏官庁でもできることはあった。種の保存法に指定など、法律を振り回す前に、それほど資金をかけずにやれる、もっと有効な手段はあったと思う。

そして、もしかしたら満更絶望するには当たらない、意外と未来は明るいかも、という動きもある。その辺に次回触れ、この連載を終えたい。